景など

承前*1

「借景小説」というタームのご教示ありがとうございました。
「借景小説」でGoogleをかけると、例えば


 呉智英はかつて司馬遼太郎歴史小説を評して、戦国や江戸や明治が舞台だけど登場人物はほとんど近代的な思想をもつ現代人で、煎じ詰めればこれらは大変よくできた借景小説なのだと総括した。私は司馬作品を一冊も読んだことがないので、この評の妥当性は知らないが、歴史小説ならぬ時代小説と称するジャンルはおおむね借景小説と断じてもまちがいないように思う。

 なお、誤解のなきようつけたしておくと、怪異妖怪のたぐいが出てくる小説が前近代的なのだというわけではない。登場人物がそれらをとりあつかう態度や作法や価値観――呉の物言いを借りれば「思想」の構造こそが、近代と前近代をわけるものさしだ。
http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20090519/p1

というのが引っかかったりするが、さらに遡ると、菊地昌典に行き着くようだ。ところで、「借景」という言葉を思い切りベタに解釈してみると、小説の良し悪しは「景」の描き方で決まるともいえないか。例えば、藤沢周平の小説に登場する武士は〈ちょんまげを結って、刀を差したサラリーマン〉だと言われることがある。言いたいのは、だったら、そのちょんまげや刀の描き方が重要になるのではないかということ。

ところで、Midas氏はマーク・トウェインを引き合いに出して、その『王子と乞食』と『アーサー王宮廷のヤンキー』のトポロジカルな関係を論ずればよかったのにとは思う。

王子と乞食 (岩波文庫 赤 311-2)

王子と乞食 (岩波文庫 赤 311-2)