「「臓器不足」とは、言い換えれば「脳死者不足」なのだ」

承前*1

既に「改正臓器移植法(A案)」は参議院を通過・成立してしまったわけだが;


脳死は「人の死」、改正臓器移植法が成立
臓器移植法


 脳死を「人の死」とすることを前提に臓器提供の年齢制限を撤廃する改正臓器移植法(A案)が13日午後、参院本会議で賛成多数で可決、成立した。

 1997年に成立した現行法下では禁じられている15歳未満からの臓器提供に道が開かれることとなった。改正法は公布から1年後に施行される。

 採決は押しボタン方式で行われ、A案の投票結果は、賛成138、反対82だった。共産党を除く各党は党議拘束をかけず、各議員が個人の判断で投票した。

 改正法は「脳死は人の死」とする考えが「おおむね社会的に受容されている」との認識に立ち、臓器を提供する場合に限って脳死を人の死としている現行法の考え方を大きく変更するものだ。

 現行では意思表示カードなど生前に本人が書面で同意していることを臓器提供の条件としているが、改正法は、本人の意思が明確でない場合は、家族の承諾により臓器提供ができる。

 また、現行制度は意思表示が可能な年齢を15歳以上としているが、改正法は意思表示を臓器提供の絶対的な条件に設定していないため、15歳未満でも家族の同意で臓器提供ができるようになる。

 現行法が成立した97年以降、国内での脳死臓器移植は81例だが、日本移植学会や患者団体などは、書面による本人の意思表示を求める臓器提供条件と、年齢制限によって、脳死臓器移植の機会が大きく狭められているとして法改正を求めていた。

 臓器提供条件の緩和のほか、書面により親族への臓器の優先提供の意思を表示することができる規定も盛り込んだ。

 この日の参院本会議では改正法に先だって、改正法の骨格を維持しながら、脳死を現行法通り臓器移植時に限り「人の死」とする修正案が採決されたが、反対多数で否決された。

 またA案の対案として参院野党有志が提出した「子ども脳死臨調設置法案」は、先に採決された改正法が過半数の支持を得たため、採決されずに廃案となった。

(2009年7月13日13時09分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090713-OYT1T00561.htm

荻野美穂「臓器移植法改正案の衆院通過によせて」http://wan.or.jp/modules/articles0/index.php?page=article&storyid=23


これはタイトルにもあるようにまだ「衆院通過」の段階で書かれたものだが、その中に


脳死臓器移植というのは、そもそも「脳死」と宣告された他の患者から臓器を摘出することによってしか成立しえない医療である。つまりこの「治療」が可能となるためには、交通事故であれ、病気や犯罪や虐待の結果としてであれ、誰か他の人間が「脳死」とみなされる状態に陥ってくれることが前提になる。テレビなどのメディアでは「国内で移植が受けられるようになれば、この子の命が助けられるのに」といった、視聴者の情緒に訴える報道がなされることが多いが、移植に使われる臓器は何もないところから降ってくるわけではない。

 「臓器不足」とは、言い換えれば「脳死者不足」なのだ。仮に日本の人工透析患者26万人全員を脳死臓器移植によって治療しようとするなら、13万人もの人が交通事故その他の理由で「脳死」と判定されることが必要な計算になる。わたしたちは、はたしてそのように脳死者の頻発する社会を望んでいるのだろうか。
 
 移植大国であるアメリカ合州国では、交通事故や銃犯罪の多さがドナーの多さにつながっていると言われるが、そのアメリカでも慢性的な「臓器不足」は続いている。そのため日本とは逆に、これまでは禁忌の対象であった生体移植が増えつつあるとされる。「必要な人に臓器が行きわたる社会」とは、考えてみれば実は恐ろしい社会なのではないだろうか。

とあり。医療関係者の中でも、元々救急医療の専門家の間には「脳死臓器移植」反対の人が多かったような気がするが、救急医療や延命のための医療技術が発展すれば「脳死者」は減り、それは「臓器不足」を帰結する。勿論、立花隆(『脳死』)が指摘していたように、「脳死」という現象自体がレスピレーターというテクノロジーを前提として成立するものなのだが。それはともかくとして、「必要な人に臓器が行きわたる社会」をつくるために救急医療や延命のための医療技術の発展が抑圧されるとしたら、それは或る種の本末転倒であろう。また、法改正の背後に「臓器不足」への焦りがある以上、次の段階へ進む可能性(危険性)がある。「現行では意思表示カードなど生前に本人が書面で同意していることを臓器提供の条件としているが、改正法は、本人の意思が明確でない場合は、家族の承諾により臓器提供ができる」。さらに、「家族」がいない人の場合、本人が明確な拒否を表明していない限り、死後の「臓器提供」が可能とされている*2。さらに、死体の国有化*3、拒否しない限り許諾と見なされるNo Consent制度、オプト・アウト制度への移行が将来的にはあるんじゃないだろうか。因みに、これは〈死後の徴兵制〉であるともいえる。出口顯氏(『臓器は「商品」か―移植される心』)曰く、

オプト・アウトによる臓器提供も徴兵に似ている。そこでも、人は自らの脳死とその後の臓器の行方を、国民全体のために国家もしくは国家の法が定めた機関に委ねるからである。(p.134)
脳死 (中公文庫)

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臓器は「商品」か―移植される心 (講談社現代新書)

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