たしかに反体制的な日の丸というのは聞いたことはない

http://hatesa.g.hatena.ne.jp/hokusyu/20090622/1245657361


明治維新の性格については諸説あって、中には(陰謀論者御用達の)副島隆彦的な怪しい解釈まであるわけだが*1、それが「革命」かどうかはともかくとして、「自然発生的な進化」ではないだろう*2。革命であろうがなかろうが、明治維新というのは〈錦の御旗〉を掲げて遂行されたのであって、日の丸を掲げてではない。その意味でも、「日の丸は革命を経た旗ではありません」。
ところで、イランについての記述を読むと、この人がシーア派の世界観或いはその神学的伝統に対する関心を全く有していないということはわかる。
シーア派の伝統的な政治観・国家観を、以前引用したことがある*3 上岡弘二「「私は、何者か」――イラン人の帰属意識と国家意識――」(in 飯島茂編『せめぎあう「民族」と国家 人類学的視座から』)から再度引用しておく;


イランのシーア派、すなわち、一二イマームシーア派の教義では、九世紀後半にお隠れになった、最後の第一二代イマーム・マフディーがこの世に再び姿を現わすまでは、すべての世俗権力は悪であり、正当性を持たないとされる。すべての支配者や権力者は、悪人か、どんなによくとも、本物とは比較にならない、第一二代イマームの不完全な代理人に過ぎない。(p.53)
以下、Karen Armstrong The Battle for God*4の記述を参照してみる。
革命後のイランを特徴付けるVelayant-e Faqih(the Government of the Jurist=イスラーム法学者による統治/政府)*5は、シーア派の伝統でも何でもない。故ホメイニが1971年に刊行したHokomat-e eslami*6という著書で初めて定式化されたもの(p.256)。それまでは、シーア派の聖職者は社会正義への関心は持ちつつも、政治への直接的な参与は避けてきた。何しろ、「お隠れになっているイマームが不在の間はあらゆる政府=統治が正統性を欠いている」わけだから。

Khomeini knew that his argument was highly controversial and challenged a fundamental Shii conviction. But, like Qutb, he believed that this innovation was justified by the present emergency. (ibid.)
ところが、1978年の革命的熱狂の中で民衆的想像力においてホメイニはお隠れになったイマームの再来として例外的に誤認された(p.308)。しかし、ホメイニも(物理的な意味で)既にお隠れになってしまい、ホメイニに匹敵するカリスマ性を持つ人はいない。だから、ハメネイ師にしてもただの聖職者であり、国家権力に関与している以上、「悪人か、どんなによくとも、本物とは比較にならない、第一二代イマームの不完全な代理人に過ぎない」。だから、「「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と「ハメネイに死を」が連続的なものとして受け入れられている」というのは当然といえば当然なのだ。
The Battle for God: A History of Fundamentalism (Ballantine Reader's Circle)

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