「悪」(ブライアン・ターナー)

コロキウム〈第2号〉―現代社会学理論・新地平

コロキウム〈第2号〉―現代社会学理論・新地平

Bryan S. Turner「人権革命の宗教的基盤」(西原和久訳)『コロキウム』2、2006、pp.6-24


取り敢えず少しメモ;


悪が存在するということができるのは、我々の傷つきやすさ(vulnerability)という性格に乗じて他の行為者が我々の弱さにつけ込むことができるようにすることによって、我々が破壊にさらされるからであり、そして特に、全体性を喪失させることで人間を破壊するように暴力が巧みに産み出されるからである(Turner [2006])*1。傷つきやすさは、2つの次元をもつ。我々は外部の力に対して外的に傷つきやすいこと、そして我々は意識感覚を備えた生き物であるから内的に傷つきやすいということ、である。暴力は、人間をその人自身の反射的・反省的な意識感覚を通して苦しめるために、この二重性を用いる。悪行のこの二重性の面については、我々は動物に苦痛を与えることはできるが、動物に悪を与えることはできないのではないかと論じることで例証できる。したがって、悪は、苦痛を感じる我々の能力と特に結びついている。動物は苦痛を経験するが、苦痛を苦痛として経験することはない。つまり、動物は自分の自尊心を失うのではなく、自分の生命を失うことができるだけだ。我々の傷つきやすさとは、たとえ我々が悪を意味のない暴力だと認識するときでさえも、悪をそう理解し、その悪に一つの意味を与える必要があるような代物なのである。(pp.8-9)
また、テクストの最初のパラグラフの「我々は、苦痛に関する宗教的観念と、たとえば拷問からの自由とかかわる権利のグローバル化との関係を検討することなしには、人権革命(the human rights revolution)を歴史的にも社会学的にも理解することはできない」(p.6)という部分もメモしておく。

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061109/1163086138 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070225/1172425320 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070228/1172677530 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080919/1221789213 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081224/1230144140

人間/動物問題については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080715/1216096436も。

*1:Vulnerability and Rights, Pennsylvania State University Press, 2206