ルールを巡ってメモ

先ずは『産経』の記事;


中3女子「卒業式出たい」 茶髪注意され、教諭にはさみ押し当てる
2009.3.14 16:18

 埼玉県警越谷署は14日、暴力行為処罰法違反の現行犯で、越谷市、同市立中学校3年の女子生徒(15)を逮捕した。

 越谷署の調べでは、女子生徒は14日午前10時10分ごろ、同校の保健室で、机の上にあった分解できるはさみの片刃ずつを両手に持ち、男性教諭(52)の背後から刃の部分を両肩に押し当てた。女子生徒は窓から逃げ出したが、別の教諭らに取り押さえられた。

 越谷署の調べでは、事件当日、同校は卒業式。午前9時45分ごろ、女子生徒が遅刻して体育館に現れたところ、男性教諭に「スカートの丈が短い。髪の毛が茶髪だ」と指摘され、保健室で注意を受けていた。越谷署の調べに対し、女子生徒は「卒業式に出席させてほしかった」と供述しているという。
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/saitama/090314/stm0903141620005-n1.htm

最初すごく眠い時にこの記事を読んだので、「男性教諭(52)」が強姦未遂かなんかで逮捕されたのかと思った。よく読むと、「女子生徒(15)」が逮捕されたのか。しかし、記事は曖昧で何故「女子生徒」が30分近く「保健室」に軟禁されなければならなかったのかよくわからない。もしかしたら、記事で示唆されているのとは別のストーリーが可能なのかも知れない。「保健室」にはベッドもあるしね。
さて、この事件を採り上げているhttp://d.hatena.ne.jp/kkk6/20090314/1237025838では、「丈が短い」「スカート」と「茶髪」はいけないという「学校内のローカルルールを破ったがために、不当に拘束されていたのではないでしょうか」という推測がなされている。さあどうかな。私は逆にそのような「ローカルルール」は存在していなかったのではないかとも思った。
私たちは様々な「ルール」に遵ったり・逆らったりしながら生きている。その多くはインフォーマルなルールであり、法律のように成文化されているわけではなく、具体的な処罰の規定とかがあるわけではない。例えば、言語のルール(広い意味での文法)。漢字の読み方を間違ったからといって、警察に逮捕され、裁判にかけられるわけではない。そんなことだったら、麻生太郎*1なんて今頃終身刑ではないか。その反応は様々であろう。あからさまに罵倒する人もいるかも知れないし、冷たい視線を投げかける人もいるかも知れないし、全く気にしない人もいるかも知れない。何れにせよ、私たちは自らの振る舞いに対する他者たちの反応を読みつつ、自らの振る舞いを調整しながら、自らの振る舞いのスタイルを確立していくということになる。このような「ルール」に遵った振る舞い(慣習行動[practice/pratique])というのは、そのような他者たちの反応との交渉を前提にして、今までもこのようにやってきたのだからこれからもOKだろうという仕方で反復・継続してきた(している)ものであろう(こうしたプロセスを通じて、「ルール」それ自体も何時のまにか変わっていくことになる)。上の例でいえば、件の「女子生徒」が今までちゃんと学校に通えたということは、今までは「丈が短い」「スカート」と「茶髪」はOKだったということなのではないか。
ところで、http://d.hatena.ne.jp/kkk6/20090314/1237025838に対する反応を見て、今更ながら思ったのは、日本は赤い国だということだ(だから日の丸なのか)。個人主義は反動的ブルジョワ思想? それはともかく、やはり小さい頃から「赤信号」を独りで渡る練習をする必要はある*2
「ルール」が弱者にとっての気休めのための〈壁〉として機能するとともに弱者を弱者として固定化するように機能することについてはhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070924/1190656902。また、「茶髪」については、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060929/1159532653http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060930/1159586613も。