可視的/不可視的(メモ)

北京―都市の記憶 (岩波新書)

北京―都市の記憶 (岩波新書)

春名徹『北京――都市の記憶』*1から。


天安門はかつて皇帝の即位や皇后の冊立といった国家の重大事に勅書を下す場所であったが、皇帝が姿を見せる場所ではない。権力はむしろ皇帝の身体を秘匿し、皇帝を包み隠すものものしい構造物だけを視覚化して支配の基礎に置いたのである。
これに反して毛沢東天安門上に身体をさらして「中華人民共和国今天成立了」と宣言して以来、その身体をさらし続けることを運命づけられた。指導者・毛沢東は本来、それ自体は不可視の存在である人民の象徴であった。毛沢東の矛盾は、このためつねに自分を視覚化せざるを得なかったことにあると思う。その行き着く先は死後も水晶の柩に納めた厚化粧の遺体を永久に保存して「人民」の視線にさらし続けることだった。なかば人民の観光の対象となってしまった毛沢東の遺体はある種の痛ましさをともなった複雑な感慨を与える。人民の共和国が国家そのものの性格を変えつつあるとき、遺体もまた別な位置を与えられるべき時を迎えつつあるように思われる。(p.57)
日本における不可視的な天皇から可視的な天皇へ、ということで、取り敢えず(名著である)多木浩二天皇の肖像』、タカシ・フジタニ『天皇のページェント』をマークしておく。
天皇の肖像 (岩波新書)

天皇の肖像 (岩波新書)

天皇のページェント 近代日本の歴史民族誌から (NHKブックス)

天皇のページェント 近代日本の歴史民族誌から (NHKブックス)

また、

天安門広場は]実際には北の故宮や王府井と南の繁華街、前門方面を繋ぐ巨大な通路として役立ってはいるが、何もない石畳みの空間はあまりに広すぎて、それ自体、何か訴えるものがない。逆説的だが、人間が不在であることそのものが、天安門広場の意味なのである。この国の主体である人民の姿はつねに見ることができる存在ではない(もちろん日常、多くの人と会うことはできるが、国家の内包である人民という姿においてではない)。人民広場の空間はしかし、そこを埋めつくす人民の可能性を暗示することによって意味を持ってくる。それをいわば暗喩として表現しているのが朝夕の国旗掲揚/下降の儀式なのだ。中国語では「掲揚/降納式」という。(pp.46-47)
天安門広場に対しては皇居前広場だろうということで、同じ題名の原武史氏の本を取り敢えずマークしておく。また、「毛主席紀念堂」の成立に関しては、台北の「中正紀念堂」との比較を含むFrederic Wakeman, Jr.*2 “Mao’s Remains”(in James L. Watson & Evelyn S. Rawski (eds.) Death Ritual in Late Imperial and Modern China University of California Press, 1990, pp.254-288)を。
皇居前広場 (光文社新書)

皇居前広場 (光文社新書)

Death Ritual in Late Imperial and Modern China (Studies on China)

Death Ritual in Late Imperial and Modern China (Studies on China)