血液型(東京新聞)

承前*1

「週のはじめに考える 血液型では決まらない」http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009030802000070.html


この文体が嫌いだということはあるのだが、事実の指摘という点では面白い。例えば、


血液型と結婚を結び付けたテレビドラマが先月下旬、四夜連続で放送されました。

 A、B、O、ABの四つの血液型の女性をヒロインに結婚への道をコメディータッチで描いた作品です。気になったのは血液型で性格を決定づけていることです。

 A型「安定志向」、B型「好奇心旺盛」、O型「おおらか」、AB型「マイペース」といった具合です。典型的な類型化*2です。

また、「ちなみに、麻生太郎首相、福田康夫前首相はA型、安倍晋三元首相、小沢一郎民主党代表はB型です」。ここまで書かれると、小泉純一郎はどうなのかとか、志位和夫はどうなのかとか知りたくなってしまうではないか。
さて、「二〇〇七年秋にNTTナビスペースが「血液型による性格の違いあると思いますか?」という調査をした結果、七万を超す回答者のうち女性の63・1%、男性の47・3%が「ある」と答えました」という*3。前にもコメント欄でご指摘を受けたが、「血液型」を信じる人が多い場合、特定の血液型の他人が「血液型」理論どおりに振る舞うことを期待=予期する人が多くなるわけで、他者からの期待=予期を察して「血液型」理論どおりに振る舞ってしまう人が多くなり、その結果、「血液型による性格の違い」という理論の信憑性(もっともらしさ)はさらに高まってしまうという可能性がある。さらに、個人的に信じる/信じないの問題だけでなく、人間は空気を読んでしまう、もっと散文的に言えば、他者がどう思っているかを推論して、その推論をベースに振る舞ってしまう存在だということがある。また、「血液型」理論は実際、レッテルを貼られる側にとっても便利だという側面がある。例えば、もっとリスクを取る冒険的な生き方をしろとか説教された場合、僕はA型ですからと正当化することができる。
このようなポジティヴ・フィードバックの回路がある以上、「血液型」信仰は、この『東京新聞』のような啓蒙的お説教によってはなかなか動揺しないんじゃないかとも思う。やはり、「血液型」信仰によって被害を受けた人が声を上げるとかが必要なのだろう。また、啓蒙的お説教といっても、このように新聞の論説のようなかたちで行われるのと、日常会話でみんながお気軽に血液型談義をしているときに、その場の空気を掻き乱して、どん引きさせるような仕方で、そんなの科学的根拠はないんだよというのでは効果が全く違うだろう。
ところで、

血液型性格論に限りません。ものの見方が単純化し、雑ぱくになった人が増えた感があります。

 テレビでクイズ番組が受けるのも、手っ取り早く答えを見つけたい人の多い表れではないでしょうか。

 経済危機や政治の混迷を打ち破るには、将来ビジョンを描くリーダーや政治家が欠かせません。

 総選挙を前に、それには誰がふさわしいのか、じっくり自分の頭で考えたいものです。血液型は輸血にしか役立ちませんが、人間を見るための判断材料なら山ほどあります。

これって、昔はよかった主義に陥っていないか。


さて、http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090307/p1。取り敢えず孫引きすると、西尾幹二aka「広島の金子親分」*4曰く、「私たちがこれから相手として戦わなければならない今の時代の典型的な「進歩的文化人」は、半藤一利保阪正康北岡伸一、五百旗頭眞、秦郁彦の諸氏である」。そういえば、谷沢永一福田和也を〈左翼〉呼ばわりしているようですね。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090225/1235584044 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090304/1236132818

*2:「類型化」は中立的な用語で、ネガティヴなものであればステレオタイプというべきだろう。

*3:このセンテンスは、「でも、日本でどうしてこれほど血液型性格論がはやるのでしょうか」に続けるべきセンテンスではない。全然whyに対するbecauseになってないじゃないか。

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20081203/1228280406