http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090224/1235449886
http://d.hatena.ne.jp/sadamasato/20090224/1235493707
前エントリーに対して少し補足。
大村英昭氏の「罪の文化」/「恥の文化」の話の文脈について。これは社会学における「役割」概念、経済学における「ホモ・エコノミックス」概念(その内面主義)を批判する文脈において言われている。そこでは、
と。そこから、「罪の文化」/「恥の文化」を通って、アーヴィング・ゴッフマンの「外見の社会学」(p.201ff.)へと話が繋がることになる。
一つには、演技や遊びを、うそないし不真面目として貶下する近代の誠実イデオロギーが、社会学にも濃い影を落としてきたこと。二つには、それと深く関わりながら、外見よりも中身ないし遂行機能だけを恣意的に抽象する、(私の言う)透明人間モデルが自明のドメイン・アサンプションになってきたこと。以上、二つが併さって、社会学は一方で行為の表現(expressive)面を想わせる「役割」概念を折角採りながら、実質上、それを台無しにしてしまう体の、「目的−手段」図式、ないし行為=道具(instrumental)観に固執してきたのだ。よくは知らないが、経済学でも、「目的−手段」図式をとる限り、よく似た透明人間が、実はホモ・エコノミックスなのではあるまいか。「生産」といい「消費」といっても、それらは外見を捨象した不可視の遂行機能として概念化されてきたのではないだろうか。ひとの行為が、なによりもまず身体の営みであり、したがって見えるものだということは、案外、(近代主義の)社会科学一般が等閑視してきた点だと私は思う。(pp.199-200)*1
また、大村先生が社会学者であると同時に浄土真宗の高僧であること、清沢満之以来の(内面主義化した)近代真宗教学を批判して、「ポストモダンの親鸞」を提唱していることも考え合わした方がいいのかも知れない。
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「世間」の圧制が重要な問題であることは間違いない。ただ、それについては、「恥」とは(関係あるものの)別の認知的・社会的機制を考えてはいる。「世間」の圧制に対して何をすべきか。それは先ず「赤信号」を渡る練習(星野博美)*2だろう。
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