雑誌休刊の話とか

エスクァイア』(日本版)休刊を巡って;
http://d.hatena.ne.jp/dragon8/20090218/1234961867
http://d.hatena.ne.jp/dragon8/20090221/1235216756
http://d.hatena.ne.jp/solar/20090222/p1
Cawaii!』休刊を巡って;
http://d.hatena.ne.jp/dragon8/20090217/1234766163


以前『ロードショー』休刊に言及したことがあった*1。今度は『エスクァイア』ですか。『エスクァイア』の台湾版は『君子』というタイトルなのだが、それはともかく、まあここまで頑張ったというべきなのでは? ライヴァルとされている『GQ』は既にかなり前に休刊の憂き目に遭っている。それで、リニューアルされて復刊したときには(新自由主義の成金たちの文化資本に合わせたのか)いきなり不粋になってしまっていて、買う気が失せてしまった。
さて、『エスクァイア』を巡って、


創刊当初は季刊でスタートし、売行き好調のため、翌年から月刊化されたが、版元はユー・ピー・ユーという印刷関連の会社で、この会社の若き社長も話題になったと記憶している。



古きよきアメリカに憧れがまだあった時代の、音楽、映画、ファッションなどの記事をメインにした、おしゃれで洗練されたカルチャー雑誌で、それまでの雑誌に比べ判型も大きく、ビジュアルのデザインに凝った雑誌の先駆けで、ちょうど、いわゆる団塊の世代やその下の世代がメインの読者だったかと思う。ライバル誌に「GQ」があり、「PLAYBOY日本版」や「PENTHOUSE日本版」のアメリカ発のエンタテインメント誌も元気があった時代だ。



昨年11月に「PLAYBOY日本版」が休刊し、今年はそれに続いて、「エスクァイア日本版」が休刊するとすれば、経済でも文化でも日本の目標だったアメリカが、名実ともにその威信が失墜してきた流れの象徴ともいえるかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/dragon8/20090221/1235216756

「古きよきアメリカに憧れがまだあった時代」とか「経済でも文化でも日本の目標だったアメリカ」とか、今更何をいってるのだ? という感じはある。GHQが占領していた時代から高度成長期にかけての話でもないし、『宝島』を通して米国の対抗文化に、『POPEYE』を通して西海岸のポップ・カルチャーに憧れていた1970年代の話でもない。『エスクァイア』が歓迎されたのは当時の日本に(『BRUTUS』は例外として)大人の男性向けのスノッブな雑誌がなかったからじゃないか。当時、女子文化の方は(安原顕*2編集長の『マリ・クレール』を中心に)「カルチャー」系へのシフトが見られたのに対して、男性雑誌といえば、リーマン向けの処世術かオナニーのオカズかクルマやセックスのハウ・ツウによって占められていた。それから、1990年代になると、ポップでおしゃれな雑誌はDazed & ConfusedにしてもFaceにしても、米国ではなく何よりも英国系という感じがあった。前2者とは傾向は違うけれど、WallPaper*3も英国の雑誌。私見によれば、『エスクァイア』にしても『GQ』にしても、これら英国系の雑誌と較べた場合、端的に鋭さが足りなかった。
さて、上の話とは関係ないが、思いついたことがある。雑誌の読み方。買って読む、本屋で立ち読み、図書館で読む。それだけだろうか。上海では(スタバを含む)カフェやレストランで置いてある雑誌を捲るということが多いのだが、そういえば日本のスタバには雑誌も新聞も置いてないな。日本でも、喫茶店とか歯医者とか美容室で雑誌を読むことは多かった。また、漫画雑誌はラーメン屋で油まみれのものを読むものだと思い込んでいた時期もあった。現在、日本において、雑誌のこのような閲読形態というのはどうなっているのかと不図思った。また、以前に書いたように、雑誌を定期的に買うラーメン屋とか喫茶店というのは、町の小さな書店にとって重要な顧客だった筈*4。また、『エスクァイア』のようなスノッブ雑誌は、新聞社系の『アサヒグラフ*5などのグラフ雑誌とともに、歯医者の待合室の定番だったのではないかと思う。歯医者に行く娯しみが減ると思う人も少なからずいるのでは?