リバタリアン論争(メモ)

池田信夫vs.小倉秀夫によるリバタリアン論争について取り敢えずメモ

池田
http://agora-web.jp/archives/460298.html
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/d05a88a409024d2d1d75b25b84d40df1

小倉
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/02/libertarianism-.html
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/02/1789libertarian.html
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/02/libertarian-bb7.html


さて、小倉氏曰く、


Libertarianは本来国家からの自由を重視するので,国家が個人の「道徳」に介入することを過度に嫌います。従って,国家が「愛国心教育」に邁進すること等に積極的に反対するのが正しいLibertarianです(シカゴ学派はともかく,オーストリア学派は,基本的にAnti-Naziですし。だから,ブッシュ前大統領や安倍元首相は,新自由主義者であっても,Libertarianではありません。)。米国においては,さらに10代の未婚カップルの性交渉や同性愛,人工中絶を国家が弾圧等しようとすることやに積極的に反対するかどうかもLibertarianか否かを推し量る重要な指標になるのですが,わが国ではキリスト教右派統一教会系を除けばそれほど強い力を持っていないので,さほど使い勝手の良い手法ではありません。まあ,首相等の靖国公式参拝に対する態度などはある程度指標になりそうな気はします。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2009/02/libertarian-bb7.html
最近流行りのネタである大麻規制*1へのスタンスとか。
ところで、日本の代表的なリバタリアンであろう森村進氏は、「国家の中立性というリバタリアニズムの原理は、政府が教育の場などで特定の歴史観唯物史観新自由主義史観、民衆史観など)やライフスタイル(核家族、一夫一婦制、禁煙運動など)を押しつけたり援助したりすることも排除する」(『自由はどこまで可能か』、p.132)と述べている。これは「国家と宗教の分離という自由主義的原則」の拡張である(p.133)。こういうことに関しての池田信夫氏のスタンスについては(私は)審らかではない。
自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

さて、「新自由主義史観」という言葉が出てきたが、私が「新自由主義」という言葉を知ったのは、neo-liberalismの訳語としてよりも、この藤岡信勝ちぇんちぇーなどが喚く「新自由主義史観」の方が早かったと思う。

リバタリアニズムに関しては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060216/1140096638 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070321/1174455126 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080612/1213237956も。