都会へ、田舎へ

以前「老後を「安寧な田舎暮らし」ではなく、安寧な都会暮らしが小金持の年寄りのトレンドなんじゃないだろうか」と書いたのだが*1
深町秋生氏曰く、


かつては「リタイヤしたら田舎で悠々自適」というのが中高年にとって理想の人生ではあった。しかし現実は逆のような気がする。「車の運転ができないやつは人であらず」という酷薄な街づくり。自治体の財政は火の車でいつ破綻してもおかしくない状況にあり、ハードな自己責任が求められる。正直なところ、リタイヤしてから来るような場所ではないのだ。



身体が健康であるうちは、田舎暮らしはそう悪くない。給料は安いが物価だって安い。不動産価格は十五年以上にわたって下がり続けているから家だって安い。(山形の話)商品がみんな揃ったショッピングセンターがある。娯楽だってそこそこある。ツタヤとかマンガ喫茶とかカラオケとか。田舎にとどまる地元志向の若者が少なくないのは、都会よりリーズナブルでストレスを抱えずに生きていけるからかもしれない。ガソリンと車の維持費は大変だけど。弱者にとってはしんどいけれど、若くて健康な強者にとっては都合のいい場所なのだ。田舎は。



戦後はずっと若者が都会を意識していた時代ではあった。いや今でもあるていどはそうだろう。ただ21世紀はそうした図式が徐々に変わっていった時代だったように思える。若者は愛知や苫小牧や大分や栃木といった地方に派遣されて働き、高齢者は田舎を捨てて都会でのこりの人生をすごす。老いも若きも移住を余儀なくされる放浪の時代だったのかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20090202

ただ、一方では、

雇用のミスマッチの問題もある。派遣労働者の中には、工場を渡り歩くような生活に見切りをつけて、農業に従事できないかと考える若者も出てきた。一方、農業の現場は、これまで問題を先送りしてきた農政の無策によって、後継者不足と高齢化のために崩壊寸前だ。しかし、現状では、若者が農業に飛び込む道筋は全く見えてこない。驚いたことに、都会の若者が身ひとつで農村に飛び込んで農民になろうとしたら、当面の生活費や肥料、種、資材の費用として1000万円近くの資金が求められるという。電車賃も無くて遠隔地から日比谷の年越し派遣村まで歩いてきたというような若者たちにとっては、農業は、今や高値の花である。仕事と共に住む家まで無くして路頭に迷う若者が都会にはあふれるで一方で、農村や介護の現場では人手が足りなくて悲鳴が上がっている。こうしたミスマッチを埋めることができないのも政治の無策がもたらしたものである。
http://katoler.cocolog-nifty.com/marketing/2009/01/post-01db.html
という指摘も。