丸暗記(メモ)

日本の高校の英語の授業を英語で行うべしという文部科学省の方針に対して、吉原真理さん曰く、


「生きた英語」ができるようになるのを目指すのは結構なことですが、そのために、「和訳と作文偏重」の英語教育を「英会話重視」に変更するなど、愚の骨頂です。最低限の単語の意味とその正しい用法を覚え、構文と文法を理解し、それを使って作文するという作業に時間をかけずに、会話などできるようになるわけはありません。文法や作文重視が悪いのではなくて、むしろ文法や作文をじゅうぶん重視していない、また、文法や作文を教えるときの教え方が間違っているのだ、と私は思っています。構文や文法や単語や句の用法をきちんと身につけるのに一番大事なのは、パズルのように英語の「問題を解く」のではなく、基本的な文例をひたすら丸暗記することだと思います。そうして文例を覚えれば、単語だけ入れ替えればそれに類似の文をすらすらと言えるようになるのです。
http://mariyoshihara.blogspot.com/2008/12/blog-post_22.html
たしかにこれは正論ではある。「基本的な文例」の「丸暗記」とそれに基づくパターン・プラクティスというのは語学の王道だ。まあ、こういうことは毎日ポップ・ミュージックを聴いていれば自然に身に着くわけだが。私は英語の基本的なパターンをロックの歌詞で覚えた。また、殊更「丸暗記」を目指さなくても、基本的なパターンを習得するには一向英文を読みまくる(最初の頃は、〈読む〉というよりは意識を集中して眺めることでもいい)ことが肝要だろう。
ところで、学校教育における「和訳」はどうかなと思う。ビジネスや日常的な読書生活において要請される英語力というのは、短文をちまちまと日本語に置き換える能力ではなく、長文のテクストの(細部はともかく)大意を理解する能力である筈だ。

語学の(少なくとも初期においては)「馬鹿」になる必要があるということは、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060929/1159554499で述べた。