山口二郎の昔のテクストから

日本政治の同時代的読み方

日本政治の同時代的読み方

山口二郎『日本政治の同時代的読み方』(朝日新聞社、1995)をぱらぱらと捲る。これは1990年から1994年までの政治評論を集めたもの。
少し抜き書き;


伝統的な社会党の護憲論は、自らは少数派であることを自明の前提とした上で、権力の側に軍事力の増強に一定の自制を働かせるという効果をねらったものであった。自らが権力をとった場合、理想をいかにして実現するかについては具体的なプログラムが存在しなかった。言うなれば、社会党の「政策」は運転者に注意を促す標語が書かれた道端の看板のようなものであった。
政策的な差異が意味を持つためには、それぞれの政党が政権につく可能性を持ち、政権が変われば違った政策が展開されるという状況が必要である。その点で、社会党が政権につくことによって自衛隊という組織をいかに運転するかを考えるようになったことは、本来の差異を作り出すための最初の一歩となるはずである。[自衛隊を認めるという(引用者註)]社会党の路線転換自体がけしからぬのではなく、その後に続く社会党的防衛政策の構想が出てこないことがけしからぬのである。政策的な競争とは、次元の異なった 理想論が宙を飛び交う状態を指すのではない。実現可能な選択肢の範囲内で、明確な意思と方向性を示すことが競争の不可欠の前提条件である。(「政党政治の再生は可能か」、p.12[初出:『RONZA』創刊準備号、1994年12月)
また、「護憲」を巡っては、「湾岸戦争憲法政治の変容」(初出は1992年)から、

社会党憲法第九条の擁護と軍備への反対を唱えることは、自民党政権にとって、社会党自身の意図とは別の大きな意味を持っていた。先ほど池田[池田勇人]が日米安保体制を実際的な効用によって正当化したと述べた。日米安保条約は、日本が安全保障をアメリカに委ねることによって軍事費負担を最小限に切り詰めることが可能になり、経済成長にあらゆる資源を投入することができるという意味において大きな効用を持ったのである。そして、アメリカが日本に対して自主防衛の努力を強化することやアメリカの防衛費負担の肩代わりを求めてきたときに、憲法第九条と原理主義的に憲法を擁護する社会党の存在はアメリカの要求を値切るためのきわめて有効な交渉材料となったのである。ここにおいて、日米安全保障条約憲法第九条は一つのセットとなって、「軽武装プラス高度経済成長」という保守本流路線を支える基盤となったのである。六〇年代にはいると、このような形で憲法第九条と日米安保条約は融合し、六〇年代の経済的繁栄の受益者となった国民から広範な支持を得た。憲法第九条は一見普遍主義的な理想を提示しているようであるが、六〇年代の文脈においては軽武装と同時に、国際的紛争になんらの介入も行わないという消極的姿勢を正当化するという機能もこの条文は果たした点も注意しておく必要がある。こうして、高度成長期においては保守本流と革新との間の正面からの対立は消滅し、保守と革新の意図せざる分業関係のもとに経済成長が推進されたのである。(pp.206-207)

国際貢献を契機として自衛隊構造改革を図るという戦略は、実は社会党が「憲法第九条=自衛隊問題」に終止符をうち、憲法の理念を生かした上で現実的な安全保障政策を構築するための最良の途なのである。単純な自衛隊違憲論を繰り返している限り、社会党は永遠に政権につくことはない。しかし、現在社会党の右派が行っているような自衛隊と安保体制の現状をそのまま追認する路線に転換しても、社会党政権担当能力に対する信頼がそこから生まれるわけではない。新冷戦のもとで肥大化した自衛隊憲法の理想に近づけるための具体的な構想を練ることこそ、社会党に課せられた課題である。その意味で、自衛隊国際貢献の方法を考えることと自衛隊の構造を脱軍事化することを結びつけることが社会党にとっての急務なのである。(pp.219-220)
さて、山口二郎氏の90年代の言動、特に小選挙区制を巡って、中傷の言説がネット上にあり*1。そこで、「政治改革四法案は最初の一歩」(初出は『日本経済新聞』1993年11月24日)から少し抜き書き;

日本人は小選挙区制をしけば全国津々浦々で二大政党の候補の激しい一騎打ちが展開されると期待しているふしがあるが、それはまったくの幻想である。米国の場合、再選を求めて立候補した現職の九割以上が当選している。つまり、新人が現職を破ることはきわめてまれでしかない。また、英国では六五一の下院の議席のうち、保守・労働の二大政党がそれぞれおよそ二〇〇ずつの指定席をもち、残った三分の一程度の草刈り場をめぐって競争を展開する。言い換えれば三分の二は無風選挙である。現職議員がいったん安定した地盤を築けば、新人はますます挑戦の意欲を失うという悪循環が始まる。米国では現職の多選の弊害があまりに著しいので、市民も国会議員の任期制限運動に乗り出した。九二年一一月にはカリフォルニア、ミシガンなど一四の州で国会議員の任期を一〇年程度に制限する法案が各州の住民投票を通して採択された。(p.117)

第一に、現在の中央集権システムを温存したままで小選挙区制を導入すれば、従来にもまして腐敗と議席の私物化を助長するという弊害が予測できる。小選挙区制のもとでは、現職議員が公共事業や補助金の個所付け、許認可の際の運動など地域に関するありとあらゆる利益誘導を一手に独占できる。そうすると、その地域の市町村の首長、利益団体が現職議員の傘下に組み込まれることとなる。そうして現職議員の地盤が安泰になれば、ますます多選、世襲などの弊害も強まるであろう。したがって、小選挙区制の導入を真の政治改革に結びつけるためには、権限、財源の徹底的な分散を図り、利益誘導に関する国会議員の関与の余地を小さくすることが不可欠の必要条件となる。(p.118)
なお、山口二郎を巡っては、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060223/1140686238http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060307/1141693903http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060504/1146764157http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060913/1158169095http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061010/1160499009http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061121/1164082739http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070116/1168966875http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070224/1172330232も参照のこと。