「これでいいのだ」(メモ)

承前*1

「「これでいいのだ」思想が日本社会を覆う日」http://kousyoublog.jp/?eid=1814



「いい大学に行こうと思って一生懸命勉強し、その大学に行けば行ったで、そこでまた一生懸命やって、いい会社に行こうとする。こうして向こうに向こうにと目的を投げかけて、それの達成のために努力するというような生き方」であり「こうした生き方は、いってみれば、現在を未来の手段に化する生き方」だと竹内整一は「はかなさと日本人」で言う。時代の空気というものがあって、今はそれが加速している時代なのだけど、その陰で加速すればするほどその「現在を未来の手段に化する」スピードに乗り遅れる人が多く出て行くと思う。

近代資本主義の業として、それは加速し続けるが、それについていけない人々が多くなってきたときに、多分「これでいいのだ」と現在を肯定しようとする人生観が再登場すると思う。そして、その土壌が、整いつつあるように思うなぁ。そして、それはあらたな死生観の誕生とセットなんじゃないだろうか。

現在を担保にしてよりよい未来を望む傾向が老いや死を恐れ、アンチエイジングや、新宗教スピリチュアリズムなどにすがる人々を多く生み出しているのだけど、それはそろそろ疲労しつつあると思う。そして、新たな死生観とともに「これでいいのだ」という現状肯定の言葉に共感を抱く人々を多く生み出していくんじゃないだろうか。

さらに、吉田兼好徒然草』が引用・参照される。
先ず、再度タルコット・パーソンズ的な言い回し*2を使えば、instrumentalからexpressiveへ。私見によれば、この転換は(日本社会においては)バブル経済直前の〈消費社会的変容〉において垣間見えたが、バブルの崩壊とともに長らく塩漬けにされていたものであるといえるだろう。
また、「これでいいのだ」は〈弱者〉の思想とはなり得ないだろう。熱湯浴とか「非モテ」に見られるように、〈弱者〉というのは否定によってのみ生き長らえることができる存在の謂であるから。
ところで、肯定の思想といえば、私と同じ世代くらいのロック・ファンは、渋谷陽一否定ではなくて肯定することは難しい、だからYESというバンドは凄いのだと言っていたことを思い出すのでは?

See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080812/1218508991