冷泉彰彦 on 秋葉原

承前*1

冷泉彰彦アメリカから見たアキハバラhttp://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1300.html


取り敢えず抜き書き(太字は引用者によるもの);


 アメリカの旅行者にとって、特に電気製品やアニメに興味のある人々にとってはアキハバラというのは特別な場所です。勿論、それは日本に住んでいる人の認識と大きく違うものではありません。ですが、彼等にとっては二つの意味で、日本人以上に「アキハバラ」が輝いて見えるということはあるでしょう。その第一は、とにかく電気製品の「ジェネレーション」が半年から一年先だということです。

 デジカメなど基本的に全世界同時発売のはずの製品でも、アメリカでは次世代の製品が並ぶまでリードタイムがあるのですが、日本では「発売日」に店頭では一斉に新製品に変わるということもあって、彼等には「アメリカでは売っていない次世代商品がある」というイメージになっているのです。プラズマや液晶などの薄型TVなどでは、それこそアメリカでは見ることもできない「次の世代の板」が見られるわけで、好きな人にはたまらないようです。とにかく、アメリカにはない「半年から一年先の未来」を見ることができるというわけです。

 もう一つ、アニメファンに取っては「こんなに沢山専門店がある」とか「ホンモノの日本のコスプレ」が見られるというようなことで、アメリカから見ても「聖地」になっていると言えるでしょう。しかも、日本とは違って「アニメおたく」というカテゴリに属することに、何の屈折もないのがアメリカ人です。アニメ好きということが「社会のメインストリーム」から差別される存在であり、それ故の疎外感と反骨精神の交錯する中で独自のプライドを維持している文化だというような複雑性は彼等にはありません。ただひたすらに日本のアニメが好きという彼等にとっては、アキハバラは無条件で楽しい場所なのです。


───アメリカでの同種の事件は、高校から大学といった年代の学生の犯行が多いが、
日本の場合は何らかの形で社会に出て働き出してからが多い。恐らくアメリカでは「格差と選別」を教育システムの中で見える形で行うのに対して、職業に就いた後はそれぞれの職業について、少なくとも表面的には自分たちも周囲も「誇り」を認める(というお約束の)文化が残っているのかもしれない。日本の場合は、格差と選別の痛みは教育システムの中では隠蔽されているが、社会に出てから全人格の否定につながるようなヒエラルキーシステムに直面することになる。

───勿論、アメリカの場合でも「解雇への逆恨み」という事件は良くあり、少しでも本人の反発が予想されるような場合は、解雇通告や職場からの退去に際して、人事担当者は武装したガードマンと一緒に対処するというような陰鬱な文化がある。解雇された人間は、暴れないにしても、一つの段ボール箱に私物を詰めて誰に挨拶するでもなく職場を去って行く。終身雇用を崩壊させるということは、そうした光景に耐えるだけの「強さ」を「切る側」にも「切られる側」にも要求する。

「日本の場合は、格差と選別の痛みは教育システムの中では隠蔽されている」というのはどうなのか。

───アメリカの「格差社会」を導入したから日本の雇用環境が閉塞したというのは実は間違っている。少なくとも、アメリカの場合は「フルタイム」と「パートタイム」、「直接雇用」と「派遣」の間で、時給換算の給与水準の格差はない。だから「ワークシェリング」という話も現実味がある。ちなみに、アメリカの「派遣」というのは、雇用主が小規模なので「人事関係の事務手続きコスト」が払えないとか、「時々変わっても良いから有能な秘書がコンスタントにいて欲しい、でも採用広告などの一時的なコストは払いたくない」という「ニーズ」に応える形で発達しているものだ。勿論「人件費削減」という動機のものもあるし、逆に「常に技術的に最先端の知識のある人材を(入れ替えながら)維持したい」というものもある。だが、派遣というのはあくまで「ニッチ」であって、全体としては日本と比べれば堂々と直接雇用して、直接雇用の中で格差をつけ、必要なら解雇するという形になっており、派遣や偽装請負を使って人件費逃れをするような慣行はない。日本と比べればもっと冷酷だが、陰湿さはない。

───犯人の残したメモ(携帯の掲示板への書き込み)は驚くほど稚拙で気が滅入るが、見過ごせない記述もある。例えば派遣先の社員食堂で、派遣社員は正社員の3割増しの料金を取られるという。ひどい話だが、実は日本の会計制度や税制はそうなっているのだ。企業にとって派遣元というのは、仕入れ先であって、派遣されてくる人間は取引先の人間なのだ。そうした人間に、原価割れした値段で社食の食事を出したら損した部分は「福利厚生費」ではなく「交際費」になってしまう。税法上もそうだし、商法上もダラダラ交際費として出していたら背任になりかねない。露骨に「コストダウンのために派遣に切り替えた」というだけでなく、法制度がそうした差別を後押ししているのだ。少なくとも「共に働く仲間」への処遇ではない。しかも支払い能力は派遣社員の方が正社員より格段に劣るのだ。