『読売』の記事;
この訃報を読み、あの時のメディアなどの「サリン」についての(装われた)無知というのはいったい何だったのかと改めて思う。
松本サリン被害、河野さんの妻澄子さん死去…意識戻らぬまま
1994年6月に起きた松本サリン事件の第1通報者、河野義行さん(58)(長野県松本市北深志)の妻で、サリン中毒の後遺症で意識不明の状態が続いていた澄子さんが5日午前3時4分、長野県松本市の松本協立病院で亡くなった。60歳だった。死因は、サリン中毒による低酸素脳症が原因の呼吸不全。葬儀は家族だけで営むという。澄子さんの死去で、松本サリン事件での犠牲者は8人となった。
澄子さんは、94年6月27日夜、オウム真理教の信者が長野地裁松本支部の裁判官官舎を狙い、松本市の住宅街で毒ガスのサリンを噴霧した松本サリン事件で、重度の脳障害を負った。意識が戻らないまま、98年、同市内の身体障害者療護施設に入所。指を動かしたり、目を開けたりすることはできるようになったが、肺炎や呼吸不全などでしばしば容体が悪化し、年2、3回の入退院を繰り返した。
今年3月、還暦を迎えたが、6月11日に口から食事をとれなくなるなど容体が悪化したため入院。点滴による栄養補給など、懸命の治療が続けられていた。
(2008年8月5日13時59分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080805-OYT1T00265.htm