私も信じていました


はじめて性行為のしくみと成り立ちを理解した子ども時代、それはまず「とてもこわいこと」としてわたしの前に立ちはだかった。友人たちからの情報、もしくは雑誌の記事などは、性行為におけるたくさんのリスクを喧伝していた。望まない妊娠をしてしまうかも知れない。性病にかかってしまうかも知れない。年配の人など、がんばりすぎて行為中に死んでしまうこともあるという。とんでもないことである。性行為はこわい、とわたしはおもった。そしてなにより、「膣けいれん」には心の底からふるえ上がり、恐怖したものだった。

こんな症状がほんとうにあるのか、今となっては確認のしようもないが、女性が性行為中に「膣けいれん」を起こすと、抜けなくなってしまい、そうなったら最後、つながったまま病院に搬送されるしかないというのだ。おそろしいとおもった。つながったままで搬送されるのはほんとうにいやだよ。かかる恥辱に耐えきれるわけがないではないか。そんなことになったら、わたしの脆弱な精神はあっという間に崩壊してしまう。そこで、子どもだったわたしは、いずれ自分が性行為をする段になったら、さりげないユーモア等でできるだけ女性をリラックスさせるよう工夫し、「膣けいれん」を事前に予防しようと心に決めた。
http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20080724#p1

私も「つながったまま病院に搬送される」というのは信じていて、そうなった場合の恥ずかしさを、恥ずかしさを共有すべき相手もまだいないのに、独りで妄想的に想像していた。勿論、実際にそんな経験はない。最中に足が攣ってしまったということはあるが。上に挙げたエントリーでは、そこから大澤真幸を援用しつつ、〈小さな死〉としてのエクスタシーへと話が進むわけだが。但し、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080713/1215970395でも記したが、「生物学的に男性である私はセックスで女性が〈イく〉ということをどうしても実感できないし、宗教的には素人なので、宗教的な神秘体験や法悦体験もない」。ただ、柔道を経験した人に訊いたところ、絞め技をかけられて〈落とされた〉ときの感覚がどうやらそれに近いという。
また、come or go問題、英語と日本語では方向性が逆であることを比較文化論的・対照言語学的に考察した人というのはいるのか。