階級ではなくて「階層」?

『朝日』の記事;


労働者にオペラを 英歌劇場、大衆紙だけにチケット情報

2008年7月27日19時35分


 【ロンドン=大野博人】ロンドンのコベントガーデン王立歌劇場のシーズン初日のチケットがほしければ大衆紙サンを買って――。世界的な名門歌劇場がファン層を広げるための「奇策」に出た。

 同歌劇場によると、チケット入手の方法を今月30日付のサン紙が独占掲載し、それに従って申し込んだ読者が抽選に当たれば1人につき4枚まで購入できる。今季初日は9月8日で演目はモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」。

 サン紙の部数は約300万で読者の大半は労働者層。オペラは自分たちには無縁と思いこんでいる人に、王立歌劇場は彼らのためにも存在することに気づいてもらい、新たなファンとして取り込むのが狙い。同歌劇場には国から多額の補助金が出ている。しかし、一部の社会階層しか楽しんでいないのでは税金を使うことが正当化できないとして、ファン層の拡大が重要な課題となっている。

 同歌劇場は、初日公演を各地の映画館で生中継することも計画。地方の人びとの鑑賞機会を広げる狙いだ。
http://www.asahi.com/culture/update/0727/TKY200807270153.html

この記事には階級という言葉は使われていない。「社会階層」であり「労働者層」だ。やはり「階級」という言葉はタブーなのだろうか。あまりにマルクス主義的とか。とはいっても、階級という言葉を使ったからといって、マルクス主義になるわけでもない。階級という言葉から連想されるのは寧ろ、或るライフ・スタイル(文化)の共有であり、だからこそ当事者にとっては〈想像の共同体〉ともなる。他方、「階層」という場合、それは(例えば世帯収入といった)画一的な尺度上の量的な差異でしかない。平均並みとか、それよりも上か下かとか。
さて、オペラを観に行くというのは、それ自体がファッションなども含めたひとつの文化的パフォーマンスであり、労働者階級にとってはそういうお作法のようなものが煩わしい、〈自分たちの文化じゃない〉とも思っているのかも知れないし、「王立歌劇場」の思惑通り「ファン層の拡大」が果たされたとしても、今度は元々の「ファン」(階級)との間に文化摩擦が起こるんじゃないか。また、他方で「ファン層の拡大」というのはそううまくはいかない可能性もある。「サン紙の部数は約300万で読者の大半は労働者層」とあるが、所謂高学歴者も実はこそこそと「大衆紙」を読んでいるという話は聞いたことがある。

See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080628/1214682906