落書き

岐阜の短大生や京都の大学生や茨城の高校野球の監督が伊太利に行って落書きしたことがばれて、問題になっている。茨城の監督は解任されたそうだ*1。勿論、文化遺産に落書きすることはよくないことであり、しかるべき弁償や原状恢復が行われることは当然であろう。ところで、『産経』の記事から、この事件に関するコメントを引用する;


コラムニストの勝谷誠彦さんの話
 「誰でも簡単に海外に行ける時代で、『そこに行った』という達成感を得ることだけが目的になっている。どうにかその達成感を表したいから、落書きという安易な方法をとる。実名まで書いてしまうのは自己愛の暴走。自分を『世界に1つだけの花』と思いこむ人間が増えて、そこに自分という存在が残ったと勘違いしてしまう。豊かなようで、精神の貧困な時代の象徴だ。野球部監督も、もし落書きをしていたとしたら、そうした1人にすぎないということ。立場があるのだから、きちんと謝ればいいこと。辞任だとか、重い処罰を受ける必要はない」

社会評論家の赤塚行雄さんの話
 「昔から相合い傘の落書きが街角の壁にあるなど日本人は落書きに対して割と寛大なことが底流にある。落書きといっても汚い言葉を書くわけでなく、記念写真を撮る感覚で証拠を残したいという軽い気持ちから書いている。だが世界の歴史的建造物となると意味合いが異なる。外国では宗教が教育の中心にあるが日本は違う。かつての日本では『修身』が、モラルを示していた。勉強だけできればいいという現代社会の歪みがこうした問題を起こしているのかもしれない」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080629/crm0806290124002-n2.htm

まだ赤塚行雄って生きていたんだねと吃驚したことはともかくとして、日本、それも現代の日本に引き付けたコメントというのはどうなのかと思う。落書きといえば、アンコール・ワット*2では安土桃山時代若しくは江戸時代初期の日本人による落書きの存在が確認されているんじゃなかったっけ? また、『産経』が掲載している共同通信の記事は、

ハートマークに相合い傘 落書きだらけの伊大聖堂
2008.6.29 15:06


 ハートマークに相合い傘−。イタリア・フィレンツェ世界遺産登録地区にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」の壁には、これまで判明した京都産業大岐阜市立女子短大の学生らによるもの以外にも多数の日本語の落書きが書かれていた。

 観光客に混じり28日、大聖堂に入ると、クーポラ(円屋根)に上る階段の壁に多数の落書きが見つかった。特にひどいのは階段を上りきったクーポラの展望台。多くの観光客が市内の展望を楽しむ場所だ。

 ほとんどはイタリア語、英語、スペイン語などで書かれ、日本語は全体の1割程度だったが、ハートマークの中に多くの女性の名前が書かれ、その下に「本当の愛をさがしにいくよ」との落書きも。都内の私立大生を名乗るものもあった。「落書きをしないで」とのイタリア語と英語の警告もあった。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080629/erp0806291505001-n1.htm

というものだ。つまり、日本人だけがやっているわけではない。また、解任された高校野球の監督は次のようにいっているらしい;

同校によると、監督は平成18年1月5日、妻との新婚旅行で大聖堂を訪問した際、油性ペンで自分と妻の名前をハートマークで囲む落書きをした。監督は、「聖堂近くでペンを販売する人に『幸せになる』などと薦められ、深く考えずに書いてしまった。大変申し訳ない」と話しているという。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080630/crm0806301140007-n1.htm
地元の人間が落書き用のペンを売っており、その人に勧められたということになる。
推測されるのは、地元には落書きをするとカップルが幸せになるというフォークロアが存在するらしいということである。そういう話がどのような故事来歴を持っていて、何時頃から存在するのか、また現存するいちばん古い落書きは何年くらい前のものなのか。そういうことをちゃんと調査しろよ。

落書きといえば、日曜日、五原路を散歩していたら、「フォーエバー ラブ」という日本語の落書きを見かけた。日本人によるものなのか、それともX-JAPANファンの中国人によるものなのかはわからない。