自己劇化?

Mixiのおかげで、秋葉原の殺人事件のニュースはほぼリアル・タイムで入ってきた。秋葉原神田明神通りと中央通りの交差点というのは私にとっても馴染みのある場所で、日本に帰っていた時期が1週間ずれていたら、私だって遭遇した可能性はあった。何よりもこういう事件は、昨年私たちも遭遇してしまったので*1、他人事という感じはない。犠牲者の方々にはご冥福をお祈りしますとしか言いようがないし、またサヴァイヴァーの方々は今後この事件の記憶と何とか折り合いをつけて生きていかなければならないので、これに関しても、第三者による安易な同情とかは慎んでおくべきだろう。
さて、メディアでは既に犯人の加藤智大の来歴について報道がなされている。それらを読んでも、こうした事件の犯人像にありがちな薬物とか精神病とかへの言及はない。また、実家もふつうの中流家庭のようである。つまり、今のところ、この犯罪を薬物とか精神病、また家庭の崩壊とか貧困とかに結びつけることはできないということになる。ただ、青森県下有数の進学校を卒業しながら、大学受験に失敗し、静岡県にある技術系の短大に入学したというのが最大の挫折か。
ケータイ・サイトに犯行を予告し、犯行の直前まで時々刻々途中経過を報告していく。ここに感じたのは、自らを悪漢として演出していく自己劇化(self-dramatization)の欲望である。勿論、警察に供述したという「世の中が嫌になった。誰でもよかった」という動機、その前提としての世界そのものに対する拡散したルサンティマンも重要であろう。しかし、こういう科白というのは最近この種の犯罪者にとっては既にクリシェになっているということもあり、自己劇化のためのネタという可能性もないことはないだろう*2。とにかくも、今や加藤智大を無視する奴はいない。日本人だけでなく、米国人も中国人も彼に注目した。
それにしても、いくら自己劇化のためとはいっても、営利目的でもなく、(テロリストのように)政治的・宗教的な目的でもなく、具体的な怨恨でもなく、純粋な暴力、純粋な殺人を合理的に計画する、そのパッションというのは正直言って、理解し難いところはある。彼の場合、酒を飲みたいとか美味いものを食べたいとか本を読みたいとかセックスしたいといった諸々の(彼にとっては)〈不純〉な欲望に邪魔されるということは(不幸なことに)なかったわけだ。

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070408/1176061638 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070409/1176093871

*2:http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080609/crm0806092220050-n3.htmでは、色々な可能性について推理がなされている。ただ、小田晋を呼んでくるセンスってどうよとは思う。