王元化(続き)

承前*1

朱強、夏楡「”這世界不再令人着迷” 解読王元化六個関鍵詞」『南方週末』2008年5月15日


王元化の1980年代以降の言論活動で先ず重要なのは、1983年のマルクス没後100周年記念シンポジウムでの「関於馬克思主義的幾個理論問題的探討」と題する周揚の報告を事実上、王若水とともに執筆したことである。この報告は初期マルクスに依拠して社会主義社会にも「疎外(異化)」が存在するという論点を含んでいたが、これに対して、当時中国共産党中央宣伝部部長だった�力群ら党内の保守派が反発し、「清除精神汚染」キャンペーンが発動される引き鉄となった。
当時王元化は中国共産党上海市委員会宣伝部長であったが、1983年に作家の巴金が香港の新聞に発表した文革に関するエッセイに対して、胡喬木が「很不高興」という態度を示し、巴金を上海市作家協会主席の地位から更迭するように圧力をかけてきたが、王元化はそれに抗して巴金を擁護した。
また、1980年代末に論文集『新啓蒙』の責任編集を担い、1988年10月に第1冊『時代與選択』を刊行し、さらに『危機與改革』、『論異化概念』、『廬山会議教訓』等が刊行された。1989年6月には第5冊の原稿が既に集まっていたが、「不久後発生的政治風波」のために「未能與読者見面」ということになってしまった。
1990年代の王元化の役割について、記事では丁東という人の言葉を引く;


1990年代、知識界恢復公共性話語、王元化影響非常大。在�小平南巡以前、知識界公共領域実際上処於失語状態、当時是以反対和平演変為主旋律的、1980年代以来的思想解放已経没有話語空間了、如何恢復知識分子的公共話語空間、王元化起到的作用很独特。