機能と農本主義(社会科教科書)

承前*1

谷川俊太郎斎藤次郎佐藤学『こんな教科書あり? 国語と社会科の教科書を読む』岩波書店、1997

今度は社会科教科書を巡って。
先ず佐藤学氏;


(前略)この二社*2の社会科の教科書を読んで、社会がこんなに変わったのに、自分が小学校に入った四〇年前と何ら本質的に変わっていないと思いました。その当時の教科書にいちばん影響をあたえたのは、アメリカのニューディール後の社会機能法というんだけれども、社会のさまざまな機構をファンクションで考えて、社会は予定調和のファンクションとして機能しているはずだという社会観ですね。ちょうどニューディール後の社会の再建のひとつのコンセプトであったんです。それになるとまさにユートピアです。だから交通はどういう機能をもっていますか、工場はどういう機能をもっていますか、お店はどういう機能をもっていますか、医療はどういう機能をもっていますか、というような形で町ができていて、ほとんど矛盾がないというふうな形で組まれている教科書が、戦後の日本の新教育の時期に普及したんだけれど、それがまったくそのままここにあるんですよ。こんなに時代も変わったし、当のアメリカでさえも消え去った社会機能法的なものの見方が、日本にはずっといまだに生き延びているという感じがすごくしました。(pp.121-122)
社会科(social studies)という教科の概念自体が戦後米国から導入されたのだろうけど、「社会機能法」と社会学における機能主義の勃興との関係は?
また、

佐藤 もう一つは、いつも農業が基盤にあって、牧歌的に書かれている。いまの社会と完全にずれてしまっていて、一体どうなっているんだという話ですよね。
谷川 これも自然保護論者みたいな人が、とくに低学年で幅をきかせているんですね。社会をあつかうのに自然が多いですね。
斎藤(略)
佐藤 社会科の教科書でも国語と同じで、ユートピアというのがなまったるいユートピアなんです。
谷川 気持ちが悪い。
佐藤 田舎に行って自然のせせらぎを聞いているといい生活で、都会の消費生活は不幸な生活。
谷川 自然の残酷さなんか全然教えていない。マスメディアの流しているイメージそのものですよ。教科書はマスメディアになっています。
佐藤 ここに描かれている日本の社会は一九五〇年代の社会です。それに情報化社会とか国際化した部分が、ちょっとくっつけてあるだけですね。
斎藤(略)
佐藤 まだ日本の農民が人口の五〇%を超えている頃の社会意識だし生活意識です。
谷川 三年おきか四年おきに改訂している意味がないよね。
佐藤 日本の教師たちの意識の中では、そこがロマンでユートピアになっているんでしょうかなね。
社会の問題というのは、人と人との関係のトラブルが基本だと思うのね。しかし、トラブルも暴力も犯罪の問題も出てこない。辛うじて差別がちらっと触れられているんですけどね。(pp.122-124)