何か小説が読みたくなり、空港の本屋で、
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飛行機を待っている間、また飛行機に乗りながら、『張騫』を読了してしまう。塚本さんの小説は実は昨年も買ったのだけれど*2、まだ読んでいない。
『張騫』は、大月国に使節として赴いた張騫を主人公にした表題作の「張騫」、司馬遷を主人公にした「殺青*3」、雋不疑を主人公にした「青州刺史」の3作が収められているが、全体として漢の武帝(劉徹)の時代を描いたものといえる。勿論、各篇は孤立しているのではなく、例えば「張騫」の最後の方に出てくる霍去病の死は「殺青」の中で特に封禅を巡って重要な意味を持っているし、「張騫」でも張騫が司馬遷に会う話が出てくるし(p.109、pp.112-116)*4、「殺青」で司馬遷も動員される「瓠子堤」の修復工事のシーンから「青州刺史」は始まる。このように、ここに収められた3篇は連作をなしているともいえる。人物像としてみれば、司馬遷を真ん中にして、張騫はその異文化体験故のラディカルな文化相対主義者、雋不疑は中華中心主義者の儒者として描かれているのが興味深い。小説としての面白さということでは、その中華中心主義者を主人公にした「青州刺史」ということになろうか。中華中心主義だけではなく、田舎者で世間知らずの学者が政治的陰謀に巻き込まれていくというポリティカル・サスペンスとしての面白さ。その陰謀の深みに本人が気付いているのかどうかもあやしい。
歴史小説を読むというのは随分と久しぶりなのだが、その語りのスタイルにおいて歴史小説というのは近代小説の枠を食み出しているのだなと、改めて思った。実在の歴史的人物や事件をネタにする歴史小説において、作者はその時間的位置において登場人物に対して優位性を持っている。端的に言えば、作者は作中の登場人物が知らない筈の本人の死及び死後を知っているということになる。また、作者はその歴史的知識において読者に対して優位性を持っていることが前提となっており、そのため小説の語りは〈啓蒙のディスクール〉に近くなる(教えてあげる文)。歴史小説が登場人物に対しても読者に対しても〈上から目線〉になるというのは避けられないのだろうか。勿論、公平を期せば、今言ったのは文体の準位の話であって、物語の構造から見れば、ここに収められた3篇はどれもオープン・エンディングになっている。
因みに興味深かったのは、〈方言の翻訳〉問題*5で、洛陽出身の桑弘洋*6の科白が関西弁になっていること。しかし、「張騫」では匈奴や大月国の言葉について工夫がされていないので、張騫がしたであろう語学的苦労が伝わってこないのだ。もう一つ、言葉遣いについていちゃもんをつけると、「張騫」では「条支」(シリア)、「波斯」(ペルシア)、「黎軒」(ローマ)、「希臘」(ギリシア)といった地名が言及されるが(p.59)、「希臘」という字に「ギリシア」というルビを振るのはどうよと思う。やはり、ヘラスだろう。「希臘」は広東語でヒーラと読むが、これはヘラスが訛ったものに違いないからだ。
「殺青」に登場する武帝は方術に嵌る武帝だが、儒家的な合理主義者であった吉川幸次郎先生はやはりそのような武帝に嫌悪感を露わにしていた(『漢の武帝』)。
- 作者: 吉川幸次郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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午後4時に上海浦東空港に到着。