納西族など

http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20080311/p1を読んで、『馬背上的法庭』という映画に興味を持ち、色々と探しているのだが、まだ見つかっていない。
さて、


この映画でも、イ族とモソ人という二つの少数民族の村が「法廷劇(というかほとんど「大岡裁き」の世界だが)」の舞台となる。このうちモソ人についてはこの映画ではじめて知った。おばあさんがマニ車を回したりしていたので、最初はてっきりチベット族かと思ったのだが、ナシ族に近い人々なのだそうだ。
実は納西族という民族名称については複雑な事情があるようだ。木麗春『納西族通史』(雲南人民出版社、2006)*1によると、『華陽国志』、『旧唐書』、『新唐書』などの中国の古代の史書では、現在の麗江付近に住む人々のことを、「摩娑」とか「麼些」と表記しており(p.13)、また近現代に至っても「麼些」と自称している(p.284)。

納西人、是麼些族内的一支系族称、自称納西人、主要分布在玉龍納西族自治県麗江古城区、中甸県、維西県、永勝県、木里県俄亜納西族自治郷、塩源県達住等地。其人数近有25万人左右。
納日人、是麼些族内的一支系族称、自称納日人、也称納汝、主要分布在寧〓*2永寧、塩源左所、人口約有3.6万人。永寧納日人今称摩梭人、左所納日人今称蒙古族。雅礱江流域的納日人、主要分布在木里県博瓦、屋脚、項脚、利瓦和塩源県瓜別等地、約有0.6万人。(p.13)
さらに、「麼些族」の支族には、「納恒人」、「阮西」、「弄魯人」がある。中華人民共和国建国後に民族帰属を確定したときに、最大ではあるが一派でしかない「納西」を民族全体と取り違えてしまった(p.284)。なので、上に出てくる「摩梭人」は「麼些族」(現在の公式な民族名では「納西族」の一派ということになる。また、「摩梭人」は「呂西」とも称する(p.12)。因みに、「納西」(Naxi)の「納」は「茂盛」の意で、「西」は「人」の意であり、「納西」とは「繁衍増殖的族群」を意味することになる(p.12)。
ところで、現在の言語学において、〈漢蔵語族〉というのがどのような扱いになっているのかは知らず。その内の〈蔵緬語支〉に属する言語にはチベット語のほかに、ビルマ語、納西語、彝語、白語などがあるので、これらの民族は一応〈チベット系〉ということになるのだろう。
さて、チベット人漢人とのコンフリクトだが*3、伝統的にチベットとの交易を牛耳っていたのは納西族や白族の商人であった筈。清代に麗江では同時に漢化(儒教化)とチベット化が進行するけど、これは西蔵との交易の活発化と関係があるのかもしれない。勿論、雲南の商人だけがチベットに交易に赴いていたわけではなく、チベット商人も交易に従事しており、麗江の北側にはチベット商人を泊める宿屋が立ち並んでいた(p.193)。なお、 摩梭人の住む永寧へのチベット仏教の伝来はさらに遡り、元代である(p.231)。また、雲南-チベットの交易が最高潮に達したのは日中戦争の時期である(pp.265-267)。これは上海や香港が日本軍に押さえられてしまい、雲南からラサ、さらに印度に至るルートが中国唯一の国際貿易ルートとなったため。
ところで、

HOWARD W. FRENCH “Intellectuals in China Condemn Crackdown” http://www.nytimes.com/2008/03/24/world/asia/24china.html


という記事を読む。しかしながら、ここで報じられている中国知識人の共同声明についての詳細はわからない。