南京から帰る

承前*1

土曜と日曜は南京に游ぶ。何故南京に行ったのかといえば、妻がネットで知り合った南京師範大学のH教授から南京に花見に来ないかというお誘いがあったからだ。
土曜日の9時半頃上海駅を出発して、11時過ぎには南京到着(帰りの列車は途中鎮江、常州、無錫、蘇州、昆山に停車)。ホテルに荷物を置き、1912という上海でいえば新天地みたいな昔の洋館を再開発したレストラン街の四川レストラン「悄江南」へ行き、H教授とお会いする。さらに、南京理工大学に学んでいる私たちの従兄妹も来る。H教授は唐代文学を専攻しているという。また、従兄妹が専攻しているのはバイオテクノロジー。それから、タクシーで紫金山へ行き、明の太祖、朱元璋の陵墓である孝陵の付近で梅見をする。孝陵の神道を下っていくと、その入り口付近に呉の孫権の小さな墓を見つける。さらに従兄妹が通う南京理工大学の校内を見物して、夜は夫子廟へ。この辺りは夫子廟と秦淮河を中心に繁華街になっている、上海でいえば豫園のような場所であるが、南京名物の家鴨の血のスープを飲み、それから昔南北朝時代に王導や謝安が住んでいたという烏衣巷という横丁にある「王導謝安紀念館」を見て、それから戯曲『桃花扇』のヒロイン、李香君の故居を見る。「王導謝安紀念館」では、『烏衣巷史話』(江蘇文史資料編輯部、1997)という本を買う。それから、「晩晴楼」という店で食事。ここで食べたのは一口サイズの小吃が20種類出てくるというもので、終いには椀子蕎麦状態で食べられなくなってしまい、多くのものを従兄妹にお持ち帰りしてもらう。
翌日は、ホテルから歩いて南京師範大学に行ってまた梅見をしたが、ここへ行ったもう一つの目的は〈中華民国様式〉の建築を見ること。南京師範大学の殆どの建物は1920年代に建てられたものであり、前日行った南京理工大学に最近建てられたポストモダンな建築が多かったのとは対照的である。〈中華民国様式〉は近代的なボディに中国風の瓦屋根を帽子として載せたもの。戦前の日本で流行した〈帝冠様式〉とも印象は似る。さらに歩いて南京大学の方へ歩き、南京大学近くの「新雑誌珈琲*2で休憩。ここは昔の洋館を庭ごとそのまま使ったゆったりとしたカフェだが、そのテーブルには自分の星座のところの穴にコインを入れると御神籤のように占いの結果が出てくる占星術自動販売機(?)があった。これは昭和の匂いがぷんぷんするもので、私が日本で最後に見たのは1980年代のそれも前半である。さらに、南京における〈中華民国様式〉建築の代表とされる南京大学の校内を散歩して、タクシーを拾う。「明故宮」へ行こうとするが、タクシーの運転手によると、そこには何もないというので、「総統府」に行く。実は前日行った1912は「総統府」の隣にある。太平天国が南京を首都に定め、その王宮を建築した跡地に建てられた中華民国の総統府は構造としては紫禁城を再現したものなのだろうけど、建築としては意外と質素であった。
南京については(特に日本人としては複雑なところがあるのだが)、実際に歩いてみると、起伏に富んで、坂道が多い街であり、街のそこかしこに湖があり、山が迫り、山紫水明で、呉から近代に至る歴史の痕跡が刻まれたなかなか味わいの深い街だと思った。勿論、上海並みに新建築のラッシュではあるが。タクシーで南京駅まで行ったのだが、行きは(タクシー・ステーションが地下にあったので気付かなかったが)駅の正面に玄武湖が広がっていることに気付く。
上海に着いたら5時過ぎ。夜は私の誕生日だったので、西康路のイタリアン・レストランBella Napoliで食事。家に帰って仕事をしなければならず、仕事が終わったのは月曜の1時過ぎ。