第二次世界大戦後のイスラエル建国を契機に、中東地区で反ユダヤ的な空気が高まり、その結果、ユダヤ人のイスラエルや欧米への移民が加速され、一方で〈純化された〉〈アラブ(イスラーム)社会〉が構成されてしまったということに関しては、多分専門的研究は幾つもあるのだろう。例えば、私の手許にはちょうど臼杵陽「イスラームとヨーロッパのはざま ミズラヒーム(東洋系ユダヤ人)論序説」(『現代思想』22-8、1994、pp.84-101)というテクストあり。
ポール・オースターのインタヴューに答えたエドモン・ジャベスの次の発言はその傍証となるか;
一九四八年にイスラエルの建国が宣言されてから、[埃及における]ユダヤ人の状況は大変悪くなった。宣伝攻撃がはじまった。はじめ対象は「シオニスト」だったが、あっというまに「シオニスト」が「ユダヤ人」に変わった。人々は、エジプトの人々は、現実に何が起きているのか、ろくにわかってはいなかった。デモに参加せよ、ユダヤ人商店を襲撃し放火せよ、とけしかけられれば、それはそうするさ。だがそれはあくまで彼らが悲惨な暮らしをしていて、お上からお墨つきをもらって欲求不満をぶちまけていいと言われたも同然だったからだ。そもそも、貧しい連中がひどい反ユダヤ主義者だったとは言えないと思う。攻撃のお先棒をかついだのはインテリや学生だ……マルキシズムやらナチズムやら、もろもろのイズムをめちゃくちゃに混同していた連中さ。ユダヤ人が真っ先に標的にされたのは、何と言ってもイスラエルが中近東全体の敵、アラブ諸国全体の敵と見られていたからだ。アラブ国家同士でうまくやっていけないものだから、イスラエルがおあつらえ向きのスケープゴートになった……もはや区別はなかった。中東で戦争がくり返されるたび、状況はますます悪くなっていった。一九五六年には、もうエジプトにとどまるのは不可能だった。(「摂理」 in 『空腹の技法』*1、pp.196-197)
- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸,畔柳和代
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あるグループに所属するメンバーは全員がまったく同質でなければならないという考え方、またそのグループが多数派の場合、自分たちだけが権利を持つという考え方、このような同質性の志向は、完全に間違っています。僕が育った頃は、そんなふうではありませんでした。中東という地域が領土国家に分割され、シリアに住むのはシリア人、レバノンに住むのはレバノン人、ヨルダンに住むのはヨルダン人、エジプトに住むのはエジプト人というふうに変わっていったのは、すべてごく最近の現象だということを忘れてはいけないと思います。
僕が子供だった頃は、レバノン、ヨルダン、シリア、パレスチナ、エジプトなどをまたいで国から国へ自由に移動することができました。僕が少年の頃通ったような学校はどこも、人種の異なる生徒たちであふれていました。僕にとっては、学校でアルメニア人、ムスリム、イタリア人、ユダヤ人、ギリシャ人などと机を並べるのはごく自然なことでした。なぜなら、それがレヴァント地方であり、僕らが育った風土だったのですから。今日見られるような分離主義の傾向や自民族中心主義は比較的新しいもので、僕にはまったくなじみがありません。それには、嫌悪を感じます。だからこそ、セゼールの引用*2が重要なのです。それは、すべてのものが集う余地があるというヴィジョンですから。なぜ、人は他の者たちの上に立たねばならないのでしょう。なぜ、いち早くそこに到達し、凱旋の集いから他の人たちを締め出さねばならないのでしょう。そのような行動は、まったく誤っていると思います。(『ペンと剣』*3、pp.87-88)
- 作者: エドワード・W.サイード,デーヴィッドバーサミアン,Edward W. Said,David Barsamian,中野真紀子
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*1:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080204/1202096588
*2:「凱旋の集いには、すべての者を招く余地がある」。