田島正樹 on Obama

承前*1

田島正樹氏がバラク・オバマについて語っていたので、メモをしておく;


しかし、今回のアイオワニューハンプシャー予備選挙では、我々は不死鳥のようによみがえるアメリカを予感する事が出来た。オバマ候補は、アメリカの強さが経済力や軍事力にあるのではなく、その建国以来の精神にこそあることを訴えて人々の共感を呼んだ。彼の単純で力強い演説は、常にアメリカの根本精神と憲法の理念に訴える。それは、もちろん考え抜かれた戦略に基づいているはずだが、決して瑣末な技術論に流れない。聴衆に、彼らが既に知っていること、知っていながら忘れ去っている事を思い起こさせるのである。彼らは、危機に迷い込み光を失いかけたとき、決まってこうして原点を思い出そうとする。そこから勇気と英知を汲み取るのである。
 シカゴの広場で、選挙戦の第一声を上げたとき、オバマ氏はリンカーンの言葉「分れたる家立つ事あたわず」を引用して、市民に向ってアメリカの団結を訴えた。9・11以後、ブッシュ一味による支配のもとで、アメリカは分裂に苦しんできた。急速に進む貧富の格差、「愛国法」による盗聴や不法捜査、陰に陽に強まる言論の封殺などにより、憎悪と分裂の危機が耐え難いまでに高まっている事を、皆が感じ始めていた。貧困層やマイノリティ各層は、今度こそ、公民権運動以来勝ち取ってきた遺産を守るために、死に物狂いで闘わねばならないと、激しい敵意に燃えていた。そのような支持者を前にオバマ氏が発した一言が、このリンカーンの言葉だったのである。彼は、決してマイノリティの代表として登場しなかった。憎悪や敵意を煽り立てたのでもない。リンカーンの精神に立ち返り、団結を訴えたのである。
 しかし、まさにそうすることによって彼は、この8年アメリカを世界から孤立させ、アメリカ自身を分裂と非寛容な対立に追いやったのが誰であったのかを、聴衆に対して浮き彫りにしたのである。リンカーン自身も、連邦の維持のために、南部の分離主義者と内戦を戦った。統一を説く事は、そこでは妥協を促す事ではなかったし、寛容を説く事は闘いを回避する事でもなかった。そのことを、オバマ氏自身はよくよく心得ていた。リンカーンの言葉を引用した時、彼は憎悪や復讐心によるのではなく、一段高い理念の下で、しかし断固として闘うことを呼びかけたのである。こうして、聴衆は自分が民主党員である前にアメリカ市民であったこと、この闘いが単にオバマ氏や民主党の闘いではなく、教科書で繰り返し教わってきたリンカーンやジェファーソンの闘いであり、アメリカ革命のための闘いである事に思い及ぶのである。比較的冷静で理知的なオバマ氏の言葉が、しだいに聴衆のほほを紅潮させるほどの力を及ぼすのは、このようにしてである。
http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/51340573.html
ところで、自衛隊イージス艦が漁船に衝突した事件に関して、日本のウヨは漁民へのバッシングに向かっているとか*2。そのバッシングされかけている千葉県の漁民たちはけっしてサヨクでもなければ反自衛隊でもない。そういう人たちを〈敵〉として構築してどうするつもりなのか。
「勝浦」という地名は、私が紀州と房州との繋がりについて興味を持った理由のひとつでもある*3