「ちくま」でなくて『宝島』?

http://watashinim.exblog.jp/4358800/


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080101#p3にて知る。

金光翔という人は、「非常に大雑把かつ図式的に言えば、むしろ、2ちゃんねるやネットの全体としての右翼的な傾向を作ったのは、竹田青嗣加藤典洋といった、90年代に筑摩書房などの出版物で活躍した文化人の影響を強く受けたコテハンや、ネット上の書き手の存在である」という。そして、


あくまでも私の印象であるが、数年前の2ちゃんねるは、ネット右翼ばかりというよりも、むしろ、左派知識人や市民運動の諸活動を「ルサンチマン」として嘲笑・否定しはするが、「右翼」との距離を強調するようなコテハンが、雑多な知識と執拗な左派批判のゆえに尊敬され、スレッドの議論をリードし、そうした左派への嘲笑・批判の雰囲気の下で小林よしのり信者のような連中が暴れる、といった構図が支配的だったように思われる。今は言葉通りの「ネット右翼」ばかりのように見えるが、2ちゃんねるやネット全体の右翼的傾向を決めた数年前は、「2ちゃんねらー」というように一枚岩で括るよりも、むしろコテハン=中間層(?)が「世論」を方向付けていたように思われる。そして、そのコテハンの思想的バックボーンを形成したのは、小林よしのりや右翼的な書き手よりも、竹田や加藤のような書き手だったと思う。論理としてはこの二人が一番典型的だが、橋爪大三郎呉智英といった面々も挙げるとよい。要するに、吉本隆明の影響を受けた全共闘系のモノ書きということだ。
また、

こうした全共闘系の書き手の中心的な論点は、大まかに言えば以下の主張だ。左翼や市民運動は、「ルサンチマン」「怨恨感情」によって動いているだけであって、「人権」「平和」「民主主義」といった主張は彼ら・彼女らの権力意志の発散でしかない。そこでは、彼ら・彼女らが攻撃対象とするものとの道義上の優劣などない、と。「プロ市民」という、まるで市民が市民運動をするのが異常だと言わんばかりの馬鹿げた言葉が発生したのもこうした文脈であろう。
小林よしのりが〈薬害エイズ訴訟〉支援と〈オウム真理教批判〉から〈従軍慰安婦〉問題を契機に本格的に右翼に転じたのは呉智英がプッシュしたおかげだということを本人が書いているのを読んだことがある。その意味では、呉智英小林よしのりの師匠だともいえるだろう。私見によれば、ここで名前を挙げられた人々の思潮というのは、〈80年代的言説〉というか(もっと広く〈80年代的なもの〉)へのバックラッシュだったと思う。大体、スティグマとしての〈ポストモダン〉なる言葉も竹田青嗣加藤典洋の周辺から出てきたことは間違いない。しかしながら、後で述べるかもしれないが、〈ポストモダン〉とスティグマされた〈80年代的言説〉は実はそれほどポピュラーなものではなかったのだ。
さて、金氏はこのエントリーを「ちくま・イデオロギー」と題している。私は、さらに時代を遡れば、『宝島』イデオロギーと名づけてもいいのではないかと思っているが、如何だろうか。周知のように、『宝島』は1970年代に植草甚一の責任編集によって創刊され、最初は米国西海岸的な対抗文化の影響が強かったが、1980年代に入り、倫敦パンク的なスタンスを強調するようになる。さらに、1980年代後半になると突然中坊向けのオカズ雑誌になり、1990年代には『宝島30』という『正論』青年部のような右っぽい雑誌を創刊し、『宝島』はというと『SPA!』をださくしたような週刊誌に変身するが、その後、現在どうなっているのかは知らない。上で名前が挙がっていた呉智英はかなり早くから『宝島』に書いていた。勿論、80年代の『宝島』には中森明夫野々村文宏といった(当時「新人類」と言われていた)〈ポストモダン〉に近い書き手も登場していたが、私にとって印象が深いのは『別冊宝島』である。1984年に『別冊宝島』として『わかりたいあなたのための現代思想・入門―サルトルからデリダドゥルーズまで、知の最前線の完全見取図!』というのが出た。これは実は『構造と力』から落ち零れた人たちのための参考書としてけっこう人気があったということこともあるのだが、(竹田青嗣は執筆に参加していないものの)この全体的な見取りは竹田青嗣、また彼と友好関係にあった笠井潔などの〈マルクス葬送派〉と呼ばれた人々の図式に近いものがあった。その後、所謂現代思想の位置づけに関しては、浅田彰でも蓮實重彦でもなく、この『別冊宝島』の影響こそが強かったのではないかと思っている。その後、『別冊宝島』では〈サブカル〉に関する特集を多く出すようになるのだが、その中でブレイクしたのが、(上で金氏は名を挙げていないが)1990年代を小林よしのりらとともに走り、一貫して「2ちゃんねらー」を肯定し・擁護し続けている大月隆寛である。また、金氏が名前を挙げている人々の本を多く出版している洋泉社という出版社が元『別冊宝島』の編集者によって始められたものであるということもある。
さて、金氏はこれらの人々を「吉本隆明の影響を受けた全共闘系のモノ書き」と一括している。また、野原氏はそれを承けて、「悪の根源は吉本隆明全共闘!」をエントリーのタイトルにしている。勿論、これらの人々が(小林よしのりを除いて)吉本隆明の影響を受けているということは事実だろう。しかし、1960年代以降の有名無名の文系知識人で吉本の影響を受けていない人というのはいないだろう(例外は浅田彰氏か)。なので、「悪の根源は吉本隆明」と断定するのは保留しなければならない。上で、「〈ポストモダン〉とスティグマされた〈80年代的言説〉は実はそれほどポピュラーなものではなかった」と書いた。その証拠は吉本隆明が(思想的に)1980年代を生き延びたということだ。その時代の日本人がロラン・バルトデリダをちゃんと読んでいれば、そういうことはなかった筈なのだ。しかし、その時代に広く読まれていたのは、実は栗本慎一郎であり岸田秀であり、或いは『別冊宝島』だった。吉本氏が1980年代の反核運動や反原発運動を批判していたため、左翼はしきりに吉本批判を繰り返していたが、そういう(例えば天野恵一などの)批判は全くアレなもので、思想的に意味があったのは粉川哲夫氏によるものくらいだったか。〈ポストモダン〉な人たちはどうだったかというと、基本的には吉本及びそのファンに対しては、〈軽蔑的無視〉のスタンスを採っていたのではないかと思う。柄谷行人氏が本格的に吉本を批判するのは1980年代後半以降だろう。
吉本隆明の具体的な影響についてはまだ検証されていないし、本格的な批判もあまり行われていない。武田徹氏の批判は(私見では)的を外しているし*1桜井哲夫氏の批判もいまいちだという感じがする。

偽満州国論 (中公文庫)

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思想としての60年代 (ちくま学芸文庫)

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