死・対話・中断(メモ)

承前*1

雄羊 (ちくま学芸文庫)

雄羊 (ちくま学芸文庫)

デリダの『雄羊』からのメモ。

二人の友のうち、一方は他方の死を見ることになるという厳然たる不可避の法=掟(loi)。対話は、どんなに仮想の対話であれ、最後の中断によって、永久に傷つけられるだろう。(略)おそらく対話は続くが、それは、生き延びる者のもとで、その航跡をたどるのだ。生き延びる者は、他者を自分の内に保存していると思っているが、彼はすでに他者の生前からそうしていたのであり、今後は自分の内部で他者に語らせるのである。たぶんそれを、彼はかつてないほどにうまく行なうのであり、まさにそれが、ぞっとさせる仮説なのである。しかし生き延びること(survie)は、消しがたい切開の痕跡をみずからの内に持っている。中断は増殖する。一方の中断が他方の中断に作用する。入れ子型の中断。かつてないほどに無気味な〔unheimlich〕中断。(p.18)。
ここでデリダは1981年のガダマー論から「第三の問い」を引用する。その最後のセンテンス――「相互了解について語るにせよ、誤解(シュライエルマッハー)について語るにせよ、理解[Verstehen]の条件は、「関係」(略)の連続体であるどころか、関係の中断、ある種の中断関係、あらゆる媒介の宙吊りではないのかと[ガダマーに]問いかけることができる」(pp.19-20)。
「中断は増殖する」――「中断」の反復。中断は(強迫的に)再開を否定するとともに動機付けるといえないだろうか。
また、(例えばハイデガー流の)自己の死というよりも、「他者」の死こそが問題であること。