「内的対話」/「内的独白」

承前*1

雄羊 (ちくま学芸文庫)

雄羊 (ちくま学芸文庫)

さらに、デリダ『雄羊』からのメモ。

ガダマーと私のあいだの対話について語る権利が、思い上がりでなく私にあるのかどうか、私にはわからない。しかし、たとえわずかでもそれを要求することができるのだとすれば、私は、その対話が何よりも内的で無気味な〔unheimlich〕ものだったと、繰り返し言うことだろう。ここで、この瞬間にも、この無気味さ〔Unheimlichkeit〕を維持しているものの秘密、それは、外側では、つまりとりわけ公開の場ではという意味だが、対話を中断したように見えたものの伝統を、おそらくこの内的対話が、生き生きとして、活動的で、幸運なままに保ってきたということだ。決して閉じることのない心の奥底で、この対談は、見事なまでに終始一貫して誤解の記憶を保ってきたのだと、そう思いたい。それは、沈黙していようがいまいが――私にとってはたいていの場合に内的で、見たところ無言で――途切れることなく、この中断の隠れた意味を育み、守ってきたのである。(pp.16-17)
ここで、デリダは「内的対話」と「内的独白」の区別を行う;

内的対話は、内的独白に先立って、それを可能にするものだ。内的対話は、内的独白を分割し、豊かにしながら、それをコントロールし、その方向を定める。(後略)(p.17)
ダイアローグはモノローグに先行する? ここで問題になるのは他者の存在?