「紙楽」の起源そのほか

体調もあまり良くない中、日曜日と月曜日は家に籠もって仕事。特に月曜日は仕事が締切を1日延ばしてもらった仕事の追い込みのほか、自宅マンションのテラスに窓を取り付けてサン・ルームにするという改装工事のため、午後から職人さんがやって来て、さらにシンガポール人のオーナーまで様子を見に来たので、工事の騒音の中、PCに向かって仕事をし、同時にその応対をして、さらにまた急ぎの小さな仕事まで飛び込んできて、かなりの天手古舞いだった。今月は仕事の関係で、分量にすれば単行本1冊か2冊分の英語を書き飛ばしてしまった。そういえば、土曜日の夜以来、まともな食事をしていなかったので、夕方近所のヴェトナム料理屋に行って、ヴェトナム風の鶏飯を食べる。東南亜細亜のチキン・ライスといえば、海南鶏飯だが、ヴェトナム風はそれとは違って、先ずはライスを軽く焼いて、おこげをつくっているのが特徴か。勿論、チキンの方もシンガポール海南鶏飯とは違い、チキン・サラダに近いか。
土曜日の夕方、「新潮(Neo-wave)」というグループ展のオープニングがあるというので、久しぶりにM50*1へ行く。「2007上海電子藝術節」*2の一環として開催されたこの展覧会は吉吉氏のキューレーションによるもので、参加しているアーティストの殆どは1970年代後半から1980年代生まれの、21世紀になって大学を卒業した人たち。吉吉と馬良が1972年生まれで、いちばんの年長ということになるか。因みに、モデルに演技をさせる写真を主に制作している馬良の作風はちょっとあざとい感じがして、あまり好きではない。吉吉*3は画家であると同時に、デザイナーとして有名で、Shirt Flag*4というブランドを主宰している。「新潮」に話を戻すと、嬰野賦というアーティストのSMっぽい単色のタブローが印象的であった。
さて、金曜日に観た譚盾*5だが、9月に上海で行ったトークのことが、安靖、張秀敏、唐雪慧「譚盾:絶対有機 一切皆楽」(『東方早報』2007年9月24日)という記事に出ていることに、新聞を整理していて、気づいた。自らを「製造業的人」という譚盾によれば、「紙楽」の起源は湖南省にあり。譚盾が湖南省に帰省した際、当地の道観の道士たちが「紙」による音楽をやっていたという。
また、クラシック音楽について;


西方的交響楽已経弾尽糧絶、他men需要東方的哲学、文化来填充。中国的藝術家如果想在西方打出一片天地、不是貝多芬*6得奏更好、不是巴赫*7 得奏更好、而是需要用我men自己的方法去尋找一些新思想。