従小資到闘士(村上春樹)

九谷さんがMixiの日記で村上春樹のことを書いたので思い出したのだが、中国では最近村上春樹の政治的スタンスが注目されていることに気づいた。例えば、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20071012/1192169273で言及した林少華「“暴力、就是打開日本的鑰匙”――関於《奇鳥行状録》」(『書城』2007年9月号)では、村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』を契機に、「一般意義的作家」から「人文知識分子」へ、或いは「小資」から「闘士」へと変わったという。また、大江健三郎と対比して、


村上和大江、這両位当今日本最有影響和代表性作家、一位自称是徹底的個人主義者、一位是純粋的民主主義者、両人似乎分属遙遠的両極、但骨子裏的東西却意外相近。至少在対待歴史、対待極権主義、権威主義等封閉性曖昧性社会体制上、両人都是当之無愧的闘士。(p.68)
と述べる。
因みに、「極権主義」はtotalitarianismの訳。また、「小資」は直訳すれば、プチブルということになるのだろうけど、お洒落な都会生活をしている中産階級人ということで、日本語ではスノッブがいちばんフィットするか。