ワン・ネイション党(メモ)

多文化主義社会の到来 (朝日選書)

多文化主義社会の到来 (朝日選書)

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070708/1183872737http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070713/1184342768でも引用した関根政美『多文化主義社会の到来』から、濠太剌利の「ワン・ネイション党(One Nation Party)」についてメモする。
「ワン・ネイション党」は1997年に4月にポーリン・ハンソンというおばさんを中心に結成された。瞬く間に支持率を上げたが、翌1998年に(左右の既成政党の必死の反撃もあり)急速に衰退した。当時は、その排外主義(反アボリジニ、反亜細亜系移民)ばかりが目立ったが、「ワン・ネイション党」の主張をよく読んでみると、たんなる排外主義にとどまらないことがわかる。この党の主張或いは存在自体がグローバル化新自由主義へのバックラッシュなのであって、過激な排外主義はそのバックラッシュの表現方法のひとつにすぎないともいえるだろう。以下に、ポーリン・ハンソンの名前を一気に上げる契機となった、「ワン・ネイション党」結成以前の1996年9月の濠太剌利連邦議会での彼女の演説をメモするが、関根氏はこれについて、「グローバリゼーションによる国家主権の相対化が生む生活不安と国民的アイデンティティの動揺に対する、保護主義的・排外主義的であるとともに、自己中心的で扇情的、そして大衆迎合的な反発が集約されている」と述べている(p.135)。関根氏はその演説を以下のように要約している;


(1)オーストラリアの先住民族アボリジニが特別扱いされ優遇され過ぎている。その結果、非先住民国民は逆差別の状態にある。こうした状況は、政治的正当性教条主義者(ポリティカル・コレクトネス主義者)や先住民福祉産業従事者、そしてアボリジニあるいは社会サービス省関係の連邦官僚たちが、自分たちの利益・地位保存のため運動し、私のような普通のオーストラリア人の声を封じているからである。この結果、オーストラリアは先住民族と非先住民族の二つの社会に分裂しており、平等な社会となっていない。(略)
(2)アボリジニに比べ、非先住民の間には失業が増大し現在でも八パーセントを超えている。その結果、国民の生活水準は低下し、家庭崩壊も発生している。また、家庭崩壊を促進するような家族法や児童援助法を廃棄ないしは改訂すべきである*1
(3)失業の原因は、オーストラリアの公共事業体の民営化や、外国資本による買収と企業経営の合理化による首切りの結果である。(略)
(4)今後、移民制度を見直し、多文化主義を廃止すべきである。一九八〇年代からアジア移民が急増し、その結果、オーストラリアはアジア人にのみ込まれてしまうし、アジア人に同化を求めない多文化主義は、社会の分裂を生み不安定化させる。(略)アジアに対してノーといえなければならない。アジア人は必要ない。
(5)オーストラリアは海外との関係を断ち切るべきであって、海外の投資家、経営者、政治家などの顔色をうかがう必要はない。海外援助(ODA)や国連への財政援助は廃止し、その結果浮いた費用を失業対策に回すべきである。開発途上国の政府は腐敗しており、そうした政府への援助や、そうした政府の力が強い国連は存続すべきではない。故に、国連への資金拠出は中止すべきである。
(6)多文化主義も財政負担になるので廃止し、移民の同化を促進すべきである。失業の多い今日一時的に移民を停止し、かつ、英語が話せないものを移民させないようにすべきである。このことによって失業を減らすべきである。
(7)政府は、アリススプリングスダーウィン鉄道を完成させるなど、公共事業投資を増やして失業者の削減に努めよ。また、若者を義務兵役制によって軍務につかせて若者の失業者数を減らすとともに、規律を学ばせるべきである。
(8)オーストラリア人の生活水準が低下したのは、オーストラリア経済が外国資本に支配されているからであり、保護貿易を徹底し、強いオーストラリアを再生すべきである。人口の多いアジア各国がわれわれを狙っている。(略)(pp.133-135)
また、「ワン・ネイション党」は次のようにも主張している;

最近は道徳や秩序の乱れが大きく、少年非行・麻薬・暴力・自殺・犯罪の増加が著しい。伝統的家族的価値の見直しのための教育の拡充と社会秩序維持のため警察力を強化するとともに、個人や家族の安全を守るために、武器所有の権利を認め銃規制法案に反対する(これは後の死刑復活の州民投票提案につながる)。(p.140)
固有名詞等を入れ替えると、熱湯浴などの言説とけっこう重なってくるのではないかと思う。また、日本の熱湯浴は「武器所有の権利」ということはあまり言わないと思うが、この心情はブッシュを支持する米国人とも重なる。
ところで、「ワン・ネイション党」が急激にブレイクした背景としては、関根氏が論じているように、濠太剌利では1980年代前半から新自由主義的改革が続けられていたことがある(pp.164-170)。「ワン・ネイション党」の登場前夜には、濠太剌利人の間に、「改革疲れ」、「改革」の「一休み」を求めるムードが広がっていた(pp.168-169)。

*1:離婚者やシングル・マザーの保護に反対している(Cf. p.139)。