スピリチュアルに鈍感であること

承前*1

江川紹子さんの声明が出ている*2。また、それに対する常野雄次郎氏の批判*3を読んだ。常野氏の批判は間違ってはいないのだが、敢えて言えば、そもそも「未成年後見人」との関係は非対称的なものであり、本人が意識するしないに拘わらず、(制度的に)「対等なもの」ではないわけだ。また、江川さんは「オウム真理教的価値観から離れ、教団に強い影響力を及ぼしている松本家から離脱し、社会の中で一市民として自立して生きていきたいので助けて欲しいと頼ってきた」と書いているが、江川さんの立場に立ってみれば、〈オウムからの離脱〉というのは「未成年後見人」になる契約に含まれているのであって、女性の振る舞いは〈契約違反〉だということになるともいえるのだろう。
別の視点から見ると、江川さんの振る舞いから推測できるのは、スピリチュアルな事柄への鈍感さであろう。生活史的な状況によって(仮令世間的には悪しきものであっても)スピリチュアルな事柄に惹き付けられてきた(いる)人に対して、スピリチュアルな事柄へのケアもなく、そこから離脱させるというのは、スピリチュアル・ハラスメント(スピハラ?)であると認定されても仕方がないだろう。私が「尼寺に入れろ」と唐突に書いたのはこのことに関わっている。(悪しき)オウムに戻るか、それともスピリチュアルに鈍感な環境に閉じこめられるかという二者択一的な状況からこそ離脱できなければならないということだ。かつて、若い衆がスピリチュアルに鈍感な家族を捨てて、オウムとかに奔ったわけだが、今回またそれが反復されたともいえる。