サイード/イスラエル


ああ、サイードが好きなのは、ユダヤ人が嫌いだからか。それとも逆か。サイードヒトラーをともに信奉するやつ、って世界中に結構いそう。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070726
の余白への書き込み。エドワード・W・サイード、デーヴィッド・バーサミアン『ペンと剣』(中野真紀子訳)へのイクバール・アフマドの序文からの引用;

一九六七年の〔第三次中東〕*1戦争の後、彼[サイード]は、アラブ側が「イスラエルの存在を承認する」のを拒絶するのは不毛なポーズであると主張した、数少ないパレスチナ人のひとりでした。彼は一貫してイスラエルを「イスラエル」と呼び、「シオニストの存在(entity)」などという形式的な用語を用いるのは愚の骨頂だとして退けました。「ユダヤ人はそこにとどまるつもりだし、パレスチナ人もそこにとどまるつもりだ。暴力や国外追放、排除、偽装などの手段をいくら弄しても、この現実を変えることはできない」と、彼は繰り返し主張しました。
永遠に続く戦争と暴力に代わりうる唯一の道は、政治による解決の道であると彼は考えました。パレスチナがアラブ人にとってもユダヤ人にとっても魅力的な地となるようなヴィジョンを打ち出し、それを「細部にわたる厳密さ」をもって実行に移すことであると考えたのです。(後略)(p.19)
ペンと剣 (ちくま学芸文庫)

ペンと剣 (ちくま学芸文庫)

また、梅木達郎「夢みるパレスチナ――ジャン・ジュネ『恋する虜』から」(in 『支配なき公共性 デリダ・灰・複数性』)からもメモしておく。梅木氏は「実際同じパレスチナの地から生まれたかつての流浪の民ユダヤ人と今日の流浪の民パレスチナ人とは、まるで一人の母をめぐってエディプス的な葛藤を繰りひろげる双子の兄弟のように、互いに他につきまとう分身的存在の様相を帯びてくる」(p.231)と書き、ジュネの『恋する虜』から

本当のユダヤ人、それはわたしらだったんだよ。わたしらが西暦七〇年のあともそこにとどまり、それからイスラームに改宗したんだ。そしてわたしらがいま受けている迫害は、国を離れた従兄弟たちからきているんだよ(cited in pp.231-232)
というパレスチナ女性の言葉を引用している。
支配なき公共性―デリダ・灰・複数性

支配なき公共性―デリダ・灰・複数性

*1:訳者による補足。