「慚愧に堪えない」

承前*1

再びyuyake-banchoさん曰く、


 ネットのニュースによると「松岡農水相自殺、安倍政権に打撃=疑惑の渦中−首相「ざんきに堪えず」との見出し。

 続く記事は、

 「首相は28日午後3時ごろ、慶応大病院を弔問。その後、首相官邸で記者団の質問に答え「大変  残念だ。ざんきに堪えない思いだ」と農水相の死を悼んだ。また、「国会で厳しく追及されていたが、自分の専門分野で専門知識を生かすことで頑張っていた」と述べた。  

とある。

 

 この「ざんきに堪えず」は、さすがにニュースを書いた人も誤用に気づいていたのではないか。

 ▼慙愧(慚愧)=自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること。

 つまり、安倍さんは、「大変残念だ。私は、自らの過ちを反省して、深く恥じ入っております」と言っていたことになる。これでは、深く哀悼の意をささげるという弔辞にはならない。

 たぶん、安倍さんは、とても残念だという意味で、「ざんきに堪えない」と言ってしまったのではないか。でも、ニュースを伝える側も、誤用のために漢字をあてるのをためらったのであろう。つまり、首相は良く知らないことばを思い込みで使っているのでとりあえず「ざんき」という音を写したのではないかと思う。

 しかし、汚職にまみれた人物を大臣に任命した責任までは回避されるものではない。自殺は悼むところであるが、それで、罪が帳消しになるわけでもない。

 引き続き、それは、首相が追うべき罪である。

 そのことを「ざんきに堪えない」と言ったのだとすれば、首相は、松岡氏の汚職を、無意識のうちに、認めているということになるのかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/yuyake-bancho/20070528

因みに、「追うべき」 は負うべきの誤変換か。それはさておき、TVを視ても新聞を読んでも、首相の「慚愧に堪えない」を註釈も施さずにそのまま流している。これはどういうことなのか。「さすがにニュースを書いた人も誤用に気づいていたのではないか」というけれど、実は「気づいて」いないのか。それとも、「取り返しのつかない事をしたと強く悔やむと共に、自らを恥じること」(『新明解国語辞典』初版)という意味でそのまま解されたのか。そうだとしたら、安倍首相は「任命責任」以上の責任が追及されてしかるべきだが、そのような形跡はない。どうもよくわからない。
「慚愧に堪えない」については、平野啓一郎氏が言及していることを知る。「聴く側は、彼が単に誤用していて、真意がそうではないことをすぐに察するのですが、とは言え、言葉の本来の意味の引力には、どうしてもある程度、引っ張られてしまいます」とあっさりいうが、フロイト先生の指摘を俟つまでもなく、言い間違えにこそ無意識的真意がひょっこりと現れるということもあるかも知れない。
「自殺」事件については、論評を差し控える。しかし、http://d.hatena.ne.jp/tadanorih/20070529をマークしておく。