坊主だからって、何か?

『読売』の記事;


「欲望に負け…」修行中の僧侶、女子高生を買春

3月23日13時3分配信 読売新聞
 修行中の僧侶が携帯電話の出会い系サイトで知り合った女子高生に現金を渡してわいせつな行為をしたとして、警視庁少年育成課は23日、山口県宇部市山門の「松月院」僧侶、末次信宏容疑者(25)を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春)の疑いで逮捕したと発表した。

 末次容疑者は「仏門の世界にいるものが、欲望に負け、年ゆかぬ子供とわいせつな行為をしてしまい申し訳ない」と供述しているという。

 調べによると、末次容疑者は2005年7月22日、東京都豊島区内のホテルで、携帯電話の出会い系サイトで知り合った都内の女子高生(15)に、わいせつな行為をした疑い。女子高生には「5万円を払う」と約束していたが、渡した現金は3万円だったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000304-yom-soci

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070205/1170693748でも書いたように、明治初年に僧侶の肉食妻帯が解禁されて以来、僧侶のアイデンティティは自明なものではなくなっている。僧侶のライフ・スタイルは基本的には私たち俗人と一緒になり、僧侶は独立した社会的身分を構成することなく、世の中に数多くある職業の1つになっている。また、妻帯の解禁によって、僧侶の世界に世襲制が導入され、寺は家業になったわけだから、この意味でも僧侶は俗人と性的に全く変わらない存在となったといっていい。しかし、「修行中の僧侶、女子高生を買春」というタイトルがニュース・ヴァリューを持っていると新聞社のデスクも考えているわけですね。世間における僧侶観の或る側面を見た感じがした。その性的乱行が問題視されればされるほど、その職業は世間的には〈聖職〉と見なされているわけか。そういえば、教師もこの手の記事の定番的な登場人物だが、昔教師は「聖職者」か「労働者」かという文部省と日教組の争いがあった。
僧侶にとっては、何か言われたら、煩悩即菩提!とか言い返せばいいと思うのだが、それにしてもこいつはせこいぞ。