お歯黒というと

まさか現在の日本ではお歯黒をした人は生き残ってはいないだろう。しかしながら、かつてお歯黒が日本の民俗文化において女性の通過儀礼の重要なメディアであって、〈漿つけ親〉という社会関係を取り結ぶ契機ともなっていたことは民俗学の文献などに詳しいだろう。少なくとも、江戸時代において、既婚女性はお歯黒をしていた筈である。しかしながら、時代劇に登場する女性の殆どはお歯黒をしていない。インターネットで検索してみたら、このことについて「時代考證」がなっていないと憤慨している方がいた*1。但し、〈公家〉の場合だと話が違う。〈公家〉が出てくる時代劇はそう頻繁にはないのだろうけど、時代劇の世界においてお歯黒は〈公家〉の徴としてとっておかれているようである。
ところで、暫く前に妻が日本の時代劇でお歯黒をしている公家を視て、日本人は何て変な習慣をしていたんだといった。来月初めに雲南省に行くのだが、そのために妻が買ってきた、携程旅行網主編『携程走中国・雲南』(学林出版社、2005)という旅行ガイドを見ると、雲南の玉渓周辺に住むDai*2族の一派である「花腰Dai」という民族の風習について、「花腰Dai女孩子喜染黒牙歯、還以此為美、喜歓佩戴銀製大耳環、平〓*3戒指」云々と出ていた(p.50)。何だ、中国にも(少数民族の習俗とはいえ)お歯黒があるではないか。しかも彼女はほかならぬ雲南人なのだ。さらに、http://www.geocities.jp/dentopia21/fkanetuke.htmlによれば、奈良時代にあの鑑真和上によって中国大陸から新しいお歯黒技術が伝えられたということだ。お歯黒というのはかつての日本の変な習俗ではないということになる。今言及した「しのざき歯科医院」という歯医者さんによる記事によると、今でもインドネシアにはお歯黒の習俗が残っているとのこと。それも(かつての日本と同じように)既婚女性をマークするものとして。さらにごく最近まで山形ではお歯黒が製造されていたという。
お歯黒という習俗は亜細亜的な拡がりがあるようなのだが、ここで重要なのは(白い歯ではなくて)黒い歯を美しいものとして認知していた美意識だろう。黒い歯の美を駆逐したのは、かつて谷崎潤一郎が敏感に見抜いたように、文明開化、西洋化だったわけだ。〈美しい国〉が好きな人たちは、黒い歯と白い歯、どちらが好きなのか。

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)

*1:Eg. http://www2.chokai.ne.jp/~assoonas/UC343.HTML http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C111252006/E1252518209/index.html 後者で、1870年2月5日に明治政府が「皇族・華族のお歯黒を禁止する命令を出し」たということを知る。

*2:漢字はにんべん+泰。雲南のDai族と泰王国を形成する泰族との関係については、私はあまり知らない。中国語の発音としては、雲南にいる方はDai、曼谷を首都とするタイ人はTaiである。

*3:zhuo2. かねへん+蜀。GB7977. ブレスレット若しくはアンクレットの意なり。