Chasing the Monk’s Shadowを読了する

Chasing the Monk's Shadow

Chasing the Monk's Shadow

Mishi SaranのChasing the Monk’s Shadow: A Journey in the Footsteps of Xuanzang*1を最近やっと読了した。
香港に住む印度人女性の著者が唐朝の高僧である玄奘aka三蔵法師の足跡を追って、生まれ故郷の洛陽郊外の村を皮切りに、中国、キルギスタンウズベキスタン、印度、パキスタンアフガニスタンを旅する。著者の旅と玄奘のテクスト、21世紀と7世紀の中国、印度及び現在中央亜細亜と呼ばれている地帯が、それに著者の家族や恋人との関係が交錯する。また、印度国内の旅は、印度に殆ど住んだことのない印度人である著者にとっては、自らの印度的アイデンティティを再発見する旅でもあった*2。21世紀において三蔵法師の足跡を辿ること、それはグローバルかつローカルなパワー・ポリティックスの最前線に足を踏み入れることである。例えば、以前日本人研究者も生命を奪われたウズベキスタンイスラーム原理主義ゲリラ。パキスタンアフガニスタンはいうまでもない。印度国内でも、著者はヒンドゥー教徒vs.ムスリムの残酷な宗派抗争の生々しい痕跡に遭遇する。最も皮肉でかつ現実的なのは、印度人である著者にとって最も遠い国は隣国であるパキスタンだったということである。何度も申請しても査証が下りず、諦めて香港に帰って新たにアパートを契約したその時に、突如査証が下りるという報せがあって、急遽ニュー・デリーに逆戻りする。また、アフガニスタン滞在は2001年8月、つまり紐育で9.11が起こる1月前である。ここだけでも、所謂タリバン政権末期のアフガニスタン、特にカブールを全くの部外者の視点から記録したドキュメントとして貴重だと思う。著者はアフガニスタンでは玄奘関係の遺跡を訪ねることはできなかったようだが。

*1:Cf. http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060828/1156784269

*2:著者は書いている、”Of Indian history, I knew nothing. It is not on syllabi of international schools in South-East Asia or American undergraduate colleges, nor can one find it in airline magazines.”(p.5)