愛−−ハイデガー/アウグスティヌス

承前*1

 細川亮一「ハイデガー 素直に「わからない」と認めること」『哲学がわかる』(AERA Mook 6)、1995で、ハイデガーブロッホマンというユダヤ系女性への書翰から「Volo ut sis あなたが存在することを欲する、このようにかつてアウグスティヌスは愛を解釈した」という言葉が引かれている。さらに、細川氏曰く、


この言葉は「あなたの存在を全体として絶対的に肯定すること」を意味する。あるいは「あなたにいて欲しい」と我々が恋人に語るとき、その「存在すること」を理解している。つまり「私と共にいて欲しい」のである。存在することは臨在すること・現前すること(パルーシア)である。『創世記』でモーセに対して言われた神の名、つまり「有りて有るもの」の「有る」は「汝らとともに有ること」を意味する。困っている友に「私がいるじゃないか」と言う場合、「あなたと共にいる」ことは、あなたを助けるものとして私がいることである。臨在は助けるものの現前である。神の「有りて有るもの」も同じ意味を持つ。「ある」と我々が言うとき、現前性=パルーシアを理解している(p.140)。