高橋哲哉 contre 教育基本法「改正」

高橋哲哉氏の「教育基本法特別委員会」「名古屋市公聴会における意見陳述」。保坂展人氏のblogに再録*1南原繁を援用する。
こういう政治的に切迫した時期にこういうことをいうのは気が引けるが、読み物として面白いものではない。ただ、高橋氏の「意見陳述」を援用したhttp://0000000000.net/p-navi/info/column/200611092345.htmの方が必読だろうと思う。「国家のための教育」が徹底されたイスラエルの例。曰く、


イスラエルではまさにこの「国家のための教育」が行われ、子どもの時から兵士に手紙を書かされ、やがて国家のために闘うように仕向けられていく。

ユダヤ人のための国家」のために国民がいるような転倒した状態にイスラエルがあるからこそ、教育は国家のために存在していなければならない。

そして、18歳になるとその「ユダヤ人国家」のために誰もが兵士になり、国家を「守る」ことに就かされる(アラブ系の住民は除かれている)。

だが、そこで行うのは、ほかの人々を陵辱し、家や農地を破壊し、寝ている子どもたちの上に爆弾を落とすことであったりする。


「国家のため」という大義名分のもと、兵士の世界では善悪の感覚は麻痺し、自分が働いた悪がすべて国家の役に立っているかのような錯覚を持つという。

その悪夢から覚めてしまうと、次には良心の呵責に絶え間なく襲われる。自分が行ったことを家族や友人には話せない。

闘って戦死させられる──その割合はそれほど高くない、イスラエル兵士の死因のトップは自殺、ついで訓練中の事故だ──というだけではなく、ここでは生き延びていても、人間は使い捨てのコマになっている。

この道から外れる方法は2つ。義務に背き、懲罰を受けるか、または国から出ていくか、だ。ヨーロッパへ移住してしまう若者がかなりいるというが、実数は明らかにされていない。

多分、「国家のための教育」の帰結を象徴しているのは、「イスラエル出身なんだけど、スイスに住んでいる」青年の「僕は自分の国がとても嫌いなんだ」という言葉であろう。

南原繁に関してだが、今年の8月15日に、東京大学安田講堂立花隆らが発起人となった集会が開かれていたことを知る*2

*1:http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/91f9142302290e07607c3ce85c065ee1

*2:韓東育「両個“八・十五”」『読書』2006年11月号、pp.12-20.