哲学三種(メモ)

http://d.hatena.ne.jp/faa/20061029/1162145668


酒井泰斗氏経由で知る。酒井氏のMixi日記には著者との応答あり。曰く、


世界内の出来事やわれわれの実践に理論的な説明を与えようとする哲学と,そのような理論化の試みを放棄するよう示して回る哲学がある.しかし,これら二つは実際のところ,ある見解を共有した上で異なる対応を取っているようにも思える.それは,われわれを含め,世界のあれこれは問題を起こすことなく進行している,という見解だ.

アキレスは亀を追い抜くし,われわれは言葉の意味を理解している.世界で起こる出来事やわれわれの実践がつつがなく進行しているからこそ,それに体系的な説明を与えようという機運が生まれるのだし,また,その複雑さを示して説明を挫折させることも同時に可能になる.

さらに、「誰もが知っているように世界は恐ろしく複雑だから,理論的な説明の試みはしょっちゅううまくいかなくなるし,それが難しいと言うことはとても簡単だ」と。

しかし,どちらの立場に立つにせよ,説明の失敗,たとえば説明が矛盾を引き起こすことは,世界の中に得体の知れない何かがあることを含意しない.説明とは無関係に,すべてはその通りにうまいこと進行している.ある哲学者は懲りずに理論の改良を試み,またある哲学者はそこからある種の悟りの境地に達する.
ここで、「第三の哲学者」が登場するわけだ。曰く、「その人たちにしたがえば,理論的説明の挫折は,挫折を引き起こすえもいわれぬ何かがあることを,あるいはその痕跡をかろうじて示す」。
「第三の哲学者」は定義(属性)の否定の彼方に〈神〉の実在を観ようとする否定神学者に似ているのかも知れぬ。ただ、哲学者ならぬ生活世界の住人の視点からすれば、客観的な現実を思い知るとはそういうことなのだろうなとは思う。
因みに、この方、句読点が理系的。