糖尿病についての反省

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20061021/1161402029で、中川昭一の「糖尿病」発言について採り上げたのだが、当事者であるイルコモンズさんの文章*1を読んで、反省した。あれは「糖尿病」の当事者の方々の心を傷つける効果を生じさせてしまいうる表現だと思った。もしご不快を感じる方がいらっしゃいましたら、お詫びいたします。
勿論、「糖尿病」を持つ人が自らのサヴァイヴァルのために日々繁雑なディシプリンを自らに課しているということは知っていた。しかし、イルコモンズさんの文章を読むと、それが各人の本能との、本能同士の鬩ぎ合いという実存的な意味を帯びてしまっているということに気がつかされる。


高血糖者のダイエットは、美容
のためのダイエットとは違って、何かプラスを
手にいれるためのダイエットではなく、とにかく
マイナスを減らしてゼロに近づけ、生きのびて
ゆくためのサバイバルだ。しかもいまのところ、
特効薬はまだないので、完治というゴールは
ない。日々、食欲とのバトルであり、ごちそうの
誘惑に対するレジスタンスである。これだけ
食べ物があふれてる社会でのそれは過酷な
試練の連続でもある。ものすごく、おおげさな
ことをいえば、毎回、命のことを心配しながら
ものを食べているので、不味いものを食べた
ときはものすごくがっかりする。だから、マクド
ナルドのようなものは口にしない。ときどき、
バターとメイプルシロップがたっぷりかかった
ホットケーキが無性に食べたくなるが、もう
何年も口にしてない。食べたいものは無数に
ある。すぐそこにある。そして、それは別に
高価なものではないし、ごちそうでもない。
誰もが食べてるありふれたものばかりだ。
だのにそれが食べれないという不条理と
苦痛。
といい、さらに「いちばん悩ましいのは、人間の生の糧であり、生に利するものであるはずの食べ物が、自分の生をちじめたり、苦しめたりするという矛盾で、これがいちばんこたえる」という。
中川昭一の推論では、「糖尿病」とコントロールできない食欲が結びつけられ、「糖尿病」からコントロールできない食欲を経由して、「日本攻撃」という突飛な振る舞いが帰結させられている。金正日が少なくとも動物的な自己保存(サヴァイヴァル)の欲望を有すると仮定すれば、中川のロジックというのは却って反「糖尿病」者的なものだということになる。コントロールできない食欲どころか、「食欲とのバトル」なしにはサヴァイヴァルできないわけだから。話は全くずれるが、コントロールできない食欲というコンセプトはかつて猪八戒とかガルガンチュアという形象を生んだわけだが、現代では金正日という形象であるとすると、文明の進歩ということに些かの懐疑を抱かざるをえないということになる*2
因みに、中川昭一発言についての真面目な議論については、http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20061021/p1とかを参照のこと。

*1:http://illcomm.exblog.jp/4050221

*2:コントロールできない食欲というと、何故か香港映画を思い出すのだ。『痩身男女』は勿論そうだし、『少林足球』もそう。