革命国家日本?

http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20061008/p1http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061006/p3経由で知る。
Barl-Karth(カール・バルト?)さん曰く、


のみならず,安倍晋三は革命家である。彼の公約は「憲法改正」ではなく,「新憲法制定」だ。法律家から見れば,両者の違いは決定的である。安倍は,法学部を出ているから,両者の意味の決定的相違は意識しているだろう。

日本国憲法明治憲法の改正という形を取りながらも,新憲法の制定であったのと同様に,安倍は,日本国憲法改正という形を取りながら,新々憲法の制定を狙っているのである。

日本国憲法の正当性を説明する道具として,当時の東京大学教授宮沢俊義は,「八月革命説」を唱えた。大日本帝国ポツダム宣言を受諾したこと自体が「(君主主義から民主主義への)革命」であり−しかも宮沢の説によれば,ポツダム宣言の受諾は,君主→民主への「債権的効果」ではなく,「物権的効果」を生じたのだ。この辺を説明し出すと,とても難しいことになるが,要するに「ポツダム宣言の受諾」は締結国に「日本はこれから民主国家になります」と合意して,そしてこの合意を基づいてこれを履行して民主国家になったということではなく,「日本はポツダム宣言を受諾して民主国家になります」と合意したそれ自体の−カトリック教会法の用語を使えば「事効的効果」として−換言すれば「受諾することによって,その法律効果として」,「民主国家」になってしまった。−新憲法は,大日本帝国憲法からその正当性を基礎付けられるのではなく,この「革命」によって,基礎付けられるというのである(宮沢俊義著 日本国憲法 コンメンタール別冊 「日本国憲法生誕の法理」)。 

恐らく安倍が提示する憲法草案は日本国憲法の改正では正当性を基礎付けられないものであろう。どこかの大学の先生が「○月革命」でこの憲法の正当性を基礎付けることになるのかも知れない。

今日の新聞で読んだのだが,安倍晋三は,現行憲法の正当性(レジティマシー・あるいは法的な妥当性−ゲルトゥング)も,明治憲法の正当性(同様)も排斥しているらしい。そうすると−安倍の論理の帰結として−,安倍が公約に掲げた「新憲法」の正当性は,法論理的に見て,決して現行の日本国憲法から基礎付けることはできない。現行憲法が「正当性」を有していなければ,現行憲法の改正規範である改正憲法の「正当性」も基礎付けることはできないのである。この点から見ても,安倍晋三が公約に掲げた「新憲法」の正当性の根拠は,「法的意味の革命」に求めるしかない。

「革命」を公約に掲げた−法哲学的・憲法基礎理論的に考えるとそれ以外の説明は不可能であろう−内閣総理大臣候補が内閣総理大臣に就任したというのは,まことに革命的なことではある。

安倍晋三内閣総理大臣内乱罪で告発しても良いように思える。小沢一郎が告発すると,とても面白い。
http://d.hatena.ne.jp/Barl-Karth/20060927

成る程と思う。またしても左翼は先を越されてしまった。ところで、私はいつもlegitimacyを正統性と訳しているのですが、「正当性」というのはここで援用されている宮沢俊義が使用している用語で、文脈の都合上、取り敢えずそれを踏襲しているということでしょうか。それとも、法学の世界ではこの訳語が既に定訳ということ?
「とりあえず国の名前は長くなって、新憲法も制定して、これで日本も「普通の国」の仲間入りだ!」とkmizusawaさんは書いている。「普通」かどうかはわからないけれど、国連の常任理事国を見てみればわかるように、世界の主要国の多くが革命国家であるということはいえると思う。
それから、「「美しい国、日本」を英語表記したらどうなるかというと」ということだが、「美しい国」はAmericaというのは中国語の話で、国に対する美称は中国文化圏では「大」じゃないでしょうか。大清帝国大日本帝国大韓民国。英語だと、Greatということでしょうか。Great Britainとかの。