世論調査を読むことの端緒?

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060916/1158382824で、


勿論、世論調査に問題がないわけではない。突っ込みを入れるならば、ワーディングの問題とか質問の繋げ方による回答の誘導の問題の方だろう。また、生データを誰でも自由に分析できるように、Excelデータとして公開するよう要求していくというのも重要かと思う。
と書いたのだが、http://plaza.rakuten.co.jp/jyohougen/diary/200608300000/を読むと、ますますそれが有意味であることを感じる。ここで書かれていることの教育的インプリケーションは何かといえば、統計というのは単純集計ではあまり意味がなく、クロス集計が必要だということに尽きる。つまり、ただ漠然とした「支持率」ではなくて、ジェンダー別、年齢層別、職業別の「支持率」が知りたいと思うようになる筈である。勿論、それは生データが自由に使用可能であることが前提ではあるが。
さて、そのテクストの後半に曰く、

 昔から元々、世論調査にはおかしな面がある。随分前だが、私は、一度大手新聞の世論調査の個別訪問のアルバイトでしたことがある。この時、世論調査が如何に苦労の多いものか実感した。とにかく真面目に答える人が少ない。それはそうだろう。忙しい時にやってきて、15分から20分くらい(だったと思う)時間をとられてボールペンくらいしかくれない。元々答える人は女性が多い。男性には追い払われる場合が多い。当たり前だ。

 そのとき、思ったことは、なぜ他のアルバイトは、そんなにたくさんの調査票を集められるのか?、ということだ。私は何度もしつこく訪れて、やっとのことで10世帯の割り当てのうち6世帯くらいの回答を集めているのに、多くのアルバイトはもっと多くの回答を提出していた。また、この質問には答えるが、あの質問には答えない。質問途中で来客があって以降の回答がとれない、まよっていて、こちらの発した言葉で回答が左右されるなど、多くあった。地域や運もあるのかもとれないと思ったが、そのとき、私は、他のアルバイトは埋まらない部分を自分で勝手に書き入れているのではないか?と疑った。

 数十年くらい前と比べて、年々仕事に対する倫理が低下しているのは間違いないのでないか。しかも、おそらく小泉が首相になったあたりから世論調査は電話調査が大勢になったため(但し、日経の調査は以前より電話調査の模様)、世論調査のアルバイトが、電話で男性への調査を断られ、実体は調査対象の男性の代わりに、妻に聞き取りをして、男性から聞いたことにして調査を仕上げている例が多いのではないか?

少し疑問に思ったのは、日本のメディアの調査ではちゃんとヴェリフィケーションをしているのかどうかということである。例えば、「他のアルバイトは埋まらない部分を自分で勝手に書き入れているのではないか?」ということだが、調査協力のお礼を兼ねて対象者に電話をかければ、そのような不正は一発でばれてしまう。また、「電話調査」の場合、コール・センターのインタヴュワーの言動はスーパーヴァイザーが常に監視している筈なので、インタヴュワーの不正は「個別訪問」よりも可能性が低い筈である。
なお、「とにかく真面目に答える人が少ない」という問題だが、ひとつ考えられるのは、特に高齢者の場合、〈アンケートに答える〉という言語行為に慣れていないということもあると思われる。また、さらに重要なのは、調査を行うマスコミ、大学、政府といった社会的なエスタブリッシュメントへの信頼度の低下だろう。
ところで、「世論調査」は戦後の民主化の一環として米国から導入されたものだが、以前は特に政治においてそれほど重視されていなかったような気もする。「世論調査」は或る意味で、有権者を消費者(潜在的な顧客)に置き換えた市場調査であるともいえるのだが、顧客層が見えていると思い込んでいる企業が市場調査を重視しないように、固定票が見えていると思い込んでいる政治家は「世論調査」を重視しないだろう。無機的な数字よりも握手の強さの方を信じるといっていた政治家がいた。凡庸な見解かも知れないが、「世論調査」が注目されるということは、〈組織票〉の衰退ということと結び付いているといえるかも知れない。また、多分それは「世論調査」を困難にしている「社会的なエスタブリッシュメントへの信頼度の低下」と平行しているともいえるのだ。