金秋

上海は(グレゴリオ暦の)9月下旬になってもまだ最高気温29度で、秋というよりは晩夏といった方が実は相応しい。今日は八月初五なので、あと10日もすると、中秋になる。また、10月1日の国慶節からは「黄金週」が始まるので、街には五星紅旗とセールのための飾り付けが溢れている。さて、デパートなどの飾り付けを見ていて気付いたのだが、「金秋」という言葉が決まり文句のように使われている。無知な私としては、あまり聞いたことのない言葉なので、『広辞苑』を見てみると、取り敢えずは載っており、「五行の一である金が四季では秋にあたるので」そのようにいうと出ている。日本語としてもあるのだ。Googleにかけてみると、わんさかヒットするのだが、その多くは中国関係のもの、または俳句関係のものである。例えば、http://www33.ocn.ne.jp/~kotoba/aki.htm。ということは、俳句に親しんでいる人以外には「金秋」はあまり馴染みがないということか。読み方は同じで「錦秋」という言葉があるが、これはまだ今の時期使えない。秋に色をつけると白とつい言ってしまうのは、柳川出身の詩人の影響が強すぎるからか。
「金秋」という言葉から日の丸を考える。デザインとして考えた場合、白地に赤というのはどうなのか。誰だって、猥褻な連想をしてしまう。赤い丸がいちばん映えるのはやはり金地だろう。実は、金地に赤というのはそれだけでは自立できない。金地に赤が銀地に黄色を呼び寄せてセットになるというのは、構造論的にもジェンダー的平等の面からいっても必然であろう*1。また、敢えてナショナリスト的な言辞を弄してみる。白地に赤では韓国の太極旗に勝つことはできない。日の丸が自然現象をデザイン化しただけなのに対して、太極旗は東洋思想における究極的な原理を象徴化したものだからだ。日の丸に残されているのはゴージャスさなのである。これは右翼な人たちに対する助言になっているだろうか。私はただ、金地に赤と銀地に黄色のペアが好きなだけである。