「AO入試」

 川島隆「崩壊する大学入試 「選抜」から「募集」へ」http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000001572 


「ここ数年の私立大学、とりわけ偏差値的に下位にある私立大の敷居の下げ方は尋常ではない」、「面接試験や小論文で入学できるAO入試が広がり、今まで大学に進学できなかった学力層がどんどん大学に進学している」として、曰く、


 AO入試にしても、下位層の大学(ここでは偏差値至上主義のようにとらえられるかもしれないが、その問題は今回は棚上げにしたい)はこれを「選抜の手段」とはしていない。もちろん名目上は選抜試験である。面接や小論文を課すことによって、より意欲を持っていて、その大学に対して情熱を持っている学生を選抜するというものである。ところが、小論文でいえば日本語として明らかにおかしな文章や誤字だらけの、とても18歳の学生が書いたものとは思えない文章が通るなどの現実が当たり前に起こっている。大袈裟な表現ではなく、不合格になると逆に驚かされるほどだ。

 あまりにも苦労なく入れるが故に、入学後の意識も低い学生が多い。例えばAO入試での入学者の中退率は一般入試入学者のそれを大きく上回る。AO入試は面接などでその大学に対しての意欲を買って選抜する入試制度であるのに、それによる合格者が大勢中退している事実が、この入試がもはや選抜としての役割を果たしていないことを証明している。選抜ではなく、単なる募集でしかない。

その一方で、Wallersteinさん曰く、

私が教えている大学の答案を見る限り、学校教育の現場は機能しているのか、首をかしげたくなることがある。繰り返すが、大学である。それも一応「一流私大」と呼ばれている大学なのだが、中々すばらしい文章力を見せてくれる。これは結局トレーニングの問題なのだろう。ブログを拝読していて、あんなにひどい文章にはお目にかかったことがない。ブログを書く、ということは、それだけで文章力、思考力のトレーニングになることを実感する。

もう一つは知識の問題。一応「史学入門」なのだから、それなりに歴史に関する知識はある、と思っていたが、かなり欠落していることがわかった。どれだけ欠落しているか、と言えば、フランシスコ・ザビエルと鉄砲伝来の人物と勘違いする位の欠落ぶりである。小学校・中学校と学ぶでしょう。日本史を高校で履修していなかったとしても、小中学校で学んでいるはずだ。そして私の講義ではわざわざ鉄砲伝来に一コマ(九〇分)、ザビエルに一コマ、かなり丁寧に扱った。多分出席していないから、大学での講義内容は知る由もない、とは言え、小中学校のレベルをクリアしていないのはすごい。しかし単位は通した。これを落とすと、半分の受講生は単位をとれなくなる。

これだけ歴史に関する基礎知識が欠落しているところに、変な歴史像を流し込まれると「知りませんでした、そんな歴史があったなんて」ところっとだまされる。
http://d.hatena.ne.jp/Wallerstein/20060922/1158899636

〈大学生は勉強しない(and 学力が低下している)〉言説というのは、〈大学生の保守化〉言説とともに昔から存在したわけだが、私たちの時代は一応「選抜」はされていたわけだ。ここで示されているのは一般的なレヴェルの事柄だが、例えば学生の定位家族の経済資本や文化資本との関係など、精査しなければいけないことは多いのだろうと思う。
ところで、たしか佐藤学氏が指摘していたが、中等教育の所謂習熟度別授業では教師も生徒も満足度が高いが、それこそが習熟度別授業の最悪の罠であるらしい。レヴェルを落としているので、教えた! 分かった!という満足度が高くなるのは当然で、その満足度故に生徒は低学力から抜け出せなくなる。これは多分大学教育にも当てはまるのだろう。
さて、〈愛国心〉を注入して、学力を上げられるか。