合計600冊?

『産経』の記事なり;


捨てるなら売ればいいのに… 学術書150冊不法投棄

 千葉中央署は21日、他人の土地に大量の学術書を捨てた廃棄物処理法違反(不法投棄)の疑いで、住所不定、無職の男(54)を逮捕した。投棄された本の中には古本でも1万円以上の値が付く高価な本も含まれていたという。捜査員は「捨てるくらいなら、売って生活の足しにすればいいのに」と首をかしげている。

 調べによると、男は21日午前1時ごろ、千葉市中央区新千葉の民家の敷地に学術書約150冊を不法に捨てた疑い。約3カ月前から民家向かいの廃アパートに無断で居ついていたが、アパート所有者から立ち退きを求められ、「どうしようもなくなって捨てた」と供述している。

 不法投棄されたのは、日本語の哲学書、宗教書のほか、古代ローマ博物学者、プリニウスの「博物史」などの洋書。男は芸術関係の有名大学を卒業後、植物学などに関する学術書を独自に研究し、植物辞典のような物も自ら編纂(へんさん)していたという。

 犯行の約6時間前にも同じ民家の敷地に約150冊を捨てた疑いが持たれており、男が居ついていた室内には、なお300冊以上の学術書が残されていた。

(09/23 01:19)
http://www.sankei.co.jp/local/chiba/060923/chb001.htm

正しくは『博物誌』だろうと先ず突っ込み。
このおじさんが「研究」していたという「植物学」というのは、近代的な(自然科学としての)「植物学」というよりは、プリニウスに連なる博物学、東洋風にいえば本草学のようなものだったのだろうか。また、「自ら編纂していた」という「植物辞典のような物」というのも、フーコー風に言えば、古典主義以前的なエピステーメーに属するようなものだったのだろうか。俗世間の直中で俗世間との関係を断って、博物学の世界に引き籠もっていった動機は何だったのだろうか。彼が「どうしようもなくなって捨てた」書物というのは、彼の生の支えであり、その数百冊によって、辛うじて(俗世間を通り越して)世界と繋がっていたのではないか。とすれば、これからの余生を彼はどう生きていくのだろうか。どうせ、このような微罪なので、刑務所に長くいられるわけではない。
そういえば、知り合いに、早稲田を中退して、何か独自の哲学らしきものを思考していた男がいた。生活のためにアルバイトはしていたが、それ以外は俗世間との関係を一切断ち、インターネットにも繋がらずに、いつかその思考の成果を出版したいといっていた。俗世間の直中で学会とかも含む俗世間との関係を一切断って、人知れず日々思考している人というのは、このおじさんに限らずけっこういるのだ。
「捜査員は「捨てるくらいなら、売って生活の足しにすればいいのに」と首をかしげている」――これは一見俗世間的な思考の典型に見えるけれど、考えてみれば、「学術書」の価値をちゃんと評価できる古書店が身近にあったのだろうか。こういう本は、ブックオフではまず値段がつかない。このおじさんとともにその蔵書の行方というのも気にはなる。