「家制度」ではない


政府案は男女に関わらず第一子が継承順位が上とした点で、男女平等には沿う形にはなったが、国民一般の常識からはかけ離れたものになった。民間でも、喪主は長男が務めることが多いように、「家」という場面では男子優先がなされるのが常識であり、良い悪いはともかく、「家」というありようのスタンダードなありかたである。皇室制度は現憲法下に取り残された家制度なのだから、そういうものとして見るよりなく、新親王がおられるにもかかわらず、眞子内親王が優先して後を継ぐというのは、理解を得られぬだろう。
http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20060912/p1
「皇室制度は現憲法下に取り残された家制度」ということだが、「皇室」は「家制度」を体現していない。それどころか、歴史的に見れば、「皇室」は「家制度」に対する最大の抵抗者であった。「皇室」が体現しているのは「家制度」よりも古い氏族制度であろう。平安後期に始まる「家制度」において、「家」というのは寧ろ経営組織であると考えられる。だから、「家制度」の前提として、家職・家業の成立がある。「家制度」において優先されるのは、家職や家業の世代を越えた継承であるので、継承者の決定においては、字義的な意味での〈血縁〉には拘らない。〈血縁〉は「家制度」においては擬似的なもの・比喩的なものになる*1。「家制度」に従う限りは、〈お世継ぎ〉問題など問題にはならない。つまり、婿養子を取ればいいだろうということである。「家制度」というのは真の意味で〈封建遺制〉といえるのだが、封建社会というのは理念的には社会的分業の体系が家業によって編成されている社会ということになろう。例えば、幕府というのは、中央政府の機能が足利家や徳川家の家業として引き受けられているということである。究極の民営化社会!
たしか光源氏太上天皇になったが、秋篠宮は?

*1:逆説的に、〈血縁〉が比喩化されることによって、日本社会には〈家族的〉原理が溢れていくことになる。擬似的な「家制度」としては、藝道における家元制度、仏教における本末制度などが挙げられる。これは、〈血縁〉が比喩化されず字義的なものにとどまる中国或いは韓国社会との差異のひとつといえよう。