道浦母都子その後

私のhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060829/1156831162に対して、futeiさんからコメントを頂いた。
『無援の叙情』の同時代ライブラリー版と岩波現代文庫版の差異についてのご教示ありがとうございました。blogから引用します。内野光子『現代短歌と天皇制』を巡って、


道浦母都子への痛烈な批判エッセィを収載。<いつまで「全共闘」を≪売り≫にするのですか──道浦母都子とマス・メディアの責任>において道浦が天皇制との親密性を露わにした発言を続けていることを指摘。94年皇太子結婚翌日に祝意をこめたコメントを寄せ、97年、斎藤史歌会始の召人になると「引き受けて下さってうれしかった」と繰り返す。『図書新聞』2000年10月21日号初出。

2000年10月に刊行された「岩波現代文庫」の『無援の抒情』から10年前の「岩波同時代ライブラリィ」版の『無援の抒情』に収録されていたエッセィを全て削っていることも指摘。「うちなる天皇と闘うためにも昭和の終焉の作品化を決意」した<終の日の昭和なるかも>、「金子文子の評伝執筆を明言していた<金子文子幻の歌集>など天皇制と対峙しようとする数編が削られたとのこと。
http://d.hatena.ne.jp/futei/20060313 

実は、『無援の叙情』は同時代ライブラリー版しか読んでいないので、そのような〈転向〉については全然気付きませんでした。
また、http://d.hatena.ne.jp/futei/20060827では、例のドラマについての韓国での報道が紹介されている。

金子の永遠の恋人だった朴烈は、収監生活を続け、監獄に閉じ込められて22年後の1945年日本崩壊と共に、自由のからだになった。彼は朝鮮戦争時しばらく行跡が不明になったが、以後北越して1974年北朝鮮で死亡した。